ここ何日か、ヤタガラスの絵の入った熊野神社のシールを貼った車をよく見たり、熊野神社の前を通ることが多く、それでもなにもしないでいたら目の前を急降下してカラスが通って行ったり、なにかの時にふと見ると視線の先にカラスがいつも佇んでいてこちらをちらと見ているように感じるので、もしかしたら熊野神社さまにご挨拶に行ったほうがいいのかなと感じて、今日時々お参りに行く熊野神社さまに行ってきました。
行ってみるとそこには茅の輪くぐりが作られてありました、水無月の大祓のときにくぐるものと同じものでした。7月なのにあるんだ…と思った瞬間、ああきっとこの茅の輪をくぐるためにここに来たんだとわかりました。この1か月いろいろ4次元領域の分離した意識を感じることが多くて、それはとてもつらいものでした。火の領域というか嫉妬とか分離して戦うような心が疲弊するようなエネルギーを感じることが多かったのできっとよくないものや穢れがついていたのでしょう、もちろんそれは自分のものだと思うのですが、調べてみると茅の輪くぐりは熊野神社に祭られているスサノオノミコトに由来するものだとありました。ああそうだったんだ。
最近あちらこちらで戦いの領域が繰り広げられているような気がします。
もちろんそれも私自身の内側の意識が作った、それは例え過去のものであっても、だと思うのですが、だからと言ってすべてを拾う必要はないんだなとわかりました。自分がこれからどの領域に繋がりたいかは自分で選ぶことができるからです。
どういったエネルギーでいるかも自分で選べるのです。
今日茅の輪くぐりをしてリセットされたのでなるたけ戦いの領域や4次元領域が分離した領域にはかかわらないよう、そういうエネルギーを感じたら、水がかたまったゼリーのような中に逃げ込んで赤ちゃんのように丸まってことが過ぎ去っていくのを待とうと思います。水の中に沈んでいる時はちゃんと守ってもらえている気がするからです。
2,3日前から公園にいると朝は日差しが強く蝉が鳴いていてこれから夏本番という印象ですが、不思議に夕方に行くとそれまでの感じとは明らかに変わっています。風が秋の風です。たしかにとんぼが集団でとんでいて、黒や水色や赤やいろいろな色のとんぼがいるのですが、二匹が合体してとんでいるとんぼもよくいます。ああ自然界はもう秋の初めなんだなと思いました。私たち人間は、暦ではまだ秋になっていないとか、まだ八月にもなっていないとか頭で判断しがちですが、きっとそういうのをとっぱらって肌で感じる部分で季節を判断しようとしてみるとよいのではないかなと思います。きっとそうすると、ああ秋がはじまったと感じるのではないでしょうか。
同じく雨雲レーダーがあてにならないと思ったら、ネットで調べることをやめてみると感覚がいっきに研ぎ澄まされてくるのを感じます。私はもう雨雲レーダーを調べないで、空を見て今からの天気はどうなるか…といつも判断するのですがたいていはずれることがないです。ああ天気予報なんて見なくても私たちはもっと違う感覚で天気を判断できるんだとわかりました。