この「記念写真帖」の所有者だったと思われる中央の人は、両側の水兵たちに比べて腕を降ろしてやや遠慮気味にしているように見える。
帽子には不明瞭ながら「大日本第二十九駆逐隊」と書かれているようだ。このシリーズの③で触れたように、第一航空戦隊は空母加賀と駆逐艦追風と同疾風の2隻で構成されていた。この2隻の駆逐艦で第二十九駆逐隊が構成され、その司令は追風に乗っていたというから、こういう表現が適切かどうかはわからないが、疾風は格下の艦であった。
海軍に入隊して間もない時期だったのではないか。日本では支那事変と称していた大陸での全面戦争が始まったのは1937年だった。当時の海軍階級制度では新兵の階級は4等水兵で、黒いセーラー服は支給されたが階級章もなく、カラスと呼ばれていた海軍最底辺の存在だった。
駆逐艦の第4分隊がどんな任務を担っていたのか調べてもわからなかったが、いろんな面で海軍にならった制度にしている自衛隊護衛艦での第4分隊は経理補給だという。調理も含み、海軍では主計と呼んでいた。
この写真は、陸上戦闘の訓練中か。
海軍には陸戦隊と称して敵地占領のため陸上での戦闘を行う部隊もあった。各艦の乗組員から構成される陸戦隊や、陸軍なみの武器、装備を持った陸上戦闘専門の特別陸戦隊もあった。米軍の海兵隊のようなものだった。
最前列右から3人目が「記念写真帖」の所有者と思われる。
表情が明るく、ふっくらして健康状態、精神状態ともよさそうだ。
判読しにくかったが、帽子には「佐世保海兵団」と書かれている。
この写真の2人は帽子に「大日本軍艦加賀」。
右が「写真帖」所有者で、前の写真より痩せた印象を受ける。
左は海兵団同期入隊の友人か。左の人の右腕の階級章は、調べた範囲では主計の2等水兵ではないかと思われる。
所有者の階級章からは、3等航空兵になったことがわかる。
一般水兵から操縦訓練生を志願することができたので、その試験を受けて合格したのだろう。
最低の階級から一つだけ昇進したものの、最低ランクであることには変わりない。表情が冴えないし唇が少し歪んでいるように見える。陸軍同様、海軍では罰直と称した体罰が頻繁に行われていた。集合が遅かった、たるんでいたなど理由は何でもよく、下士官たちから毎晩のように暴力が振るわれていた。アッパーという、歯を食いしばれと言ってからあごを強く殴ってくるものもあった。そうしないと歯が折れるからだった。
バッターと呼ばれたバットのような木材で尻を思い切り叩かれる罰直が日常的に行われ、稀に当たり所が悪く半身不随になったり死んだ水兵もあった。
多くの敵機を撃墜したことで知られた坂井三郎は佐賀県出身で、やはり佐世保海兵団に入って戦艦霧島の副砲分隊に配属され、海軍4等水兵から航空兵になった人だ。戦後に書いた本の中で、入隊直後にくらったバッターがあまりに理不尽だったと、やった下士官の本名を書いたことがある。よほどの怒りがあったのだろう。皆、大なり小なり同様の怒りを持ったようだ。
体罰は命令には無条件ですぐに従う兵隊をつくるために行われていたと考えられる。
帽子が千葉県の館山海軍航空隊となった。
階級章は2等航空兵である。
館山では初級教程を終わった水兵が中級の練習機で訓練を行っていたようだ。
ここには掲載しないが、鹿島航空隊の帽子を被った写真もあった。
この写真から海軍軍人が左腕に付けていた特技章を付けるようになった。砲術、水雷、航海など多数の特技章が海軍にはあり、それぞれの技術を教える学校を卒業すると与えられた。
これは航空兵の特技章だ。
帽子は佐世保海軍航空隊となり、階級章は1等航空兵に。
この人はもともと佐世保海兵団から海軍での履歴が始まったが、全国に点在していた飛行機の操縦や偵察を教える基地を回りながら一等航空兵となり、一旦佐世保に戻されたということではないか。
この写真の特技章の方が鮮明なので再度掲載。
鳥が羽ばたくようなデザインの特技章だ。航空兵の特技章は航空術章とも呼ばれ、正確には操練偵察教程章。
操練とは操縦練習生の略、偵察とはナビゲーションや敵の艦種や動向確認などを担当する搭乗員。
帽子は佐世保海兵団となったが、右腕に善行章一本が加わった。
善行章は、勤続3年ごとに一本付いた。たとえば9年間海軍にいた人には3本が付いた。海軍にいることが善行というわけである。
同じ階級同士なら善行章が多い方が上に見られた。しかし、航空兵は昇進が速かったため、善行章の本数は少なくとも階級の上がり方は速かった。
現在の学生服に似たこの服は、海軍下士官第一種軍装。
誇らしげな表情である。写真館の人が特技章は隠れても、階級章はよく写るような体の向きにして撮ったのだろう。
階級章はと見れば、不明瞭ではあるが子細に見た結果、三等航空兵曹であることがわかった。下士官になった記念に写真館で撮ったのだろう。
以上のいずれの写真にも撮影の時期は書かれていなかったが、
海軍最底辺の4等水兵から3等航空兵になり、それ以降は各地の航空生教育基地を異動させられながら、下士官にまで昇進した歩みが
見て取れた。
「日本軍装図鑑下 笹間良彦著 雄山閣」より
こうした写真の中に、こんな奇妙な形の飛行機の絵か写真が挟まれていた。
次回⑤は10月10日までに掲載予定。
【参考】
坂井三郎著・写真大空のサムライ 光人社
海鷲 梅林義輝著 潮書房光人社
零戦搭乗員空戦記 坂井三郎ほか 光人社
日本軍装図鑑下 笹間良彦著 雄山閣
日本海軍軍装図鑑増補版 柳生悦子 並木書房