福江島と久賀島の間にある田ノ浦瀬戸。
五島列島には南からこの田ノ浦瀬戸、奈留瀬戸、滝ケ原瀬戸、若松瀬戸、そして最も北に津和崎瀬戸がある。
いずれも大潮の時には潮流が速くなり、非力なエンジンしか搭載していないヨットにとっては要注意の場所だ。干潮に向かう時間帯には南流れとなり、それを知らずに北上しようとすると潮流に押し戻されることもある。
それに田ノ浦瀬戸と津和崎瀬戸を除けば、このように見通しがいい瀬戸はなく入口を見つけることさえ難しい。自船の正確な位置を知り、海図やチャートプロッターを見ながら入口を見つけ、暗礁を避けながらの航海が要求される海域だ。
航海2日目、奈留瀬戸に入り久賀島東岸の港へ向かった。
知り合いの漁師さんがいる漁港に舫わせてもらった。
定置網漁業も行われている。
戦後までこの山は牛を放牧する牧場だったという。中腹まで木のない野原で、子供たちのいい遊び場になっていたというのだが、この風景から想像するのは難しい。
ヤマザクラ
翌朝、漁港を出て北上。漂着ゴミに悩まされているのは、この奈留島だけではない。清掃してもすぐに次のゴミが流れつく。
これから北上していく奈留島西側の海岸。
北より風力2、機走した。
おそらく若松瀬戸の西側。
海岸から2マイル弱を走ったが、小型船が現れて釣りを始めたりするので気は抜けなかった。
新上五島町の青方にある国家石油備蓄基地。
この青方から5年に一度、巨大な箱型石油備蓄船一隻が検査のため長崎港へタグボートに引かれてやって来る。去年7月、長崎港で撮影。
青方には同型の備蓄船が5隻係留されていて、一隻ずつ順繰りに長崎で検査を受ける。一隻で90万リットルの石油備蓄が可能。
長さ390m、幅97m、この大きさのため、瀬戸は通らずに福江島の南沖を通過させていた。スマホのマリントラフィックの情報だ。
8隻前後のタグが引いたり押したりしながら、時速2キロ前後で青方から長崎まで二日間かけてやって来る。この1隻に石油を満載したとしても、国内消費量に換算すればわずか二日分に過ぎないという。
青方から船が出て来た。博多と福江を毎日往復しているフェリー太古だ。AIS信号受信。翌日も違う場所で遭遇した。
新上五島町奈摩漁港出入口にある岩と矢堅崎の灯台。
奈摩へ向かって回り込むと見える、一見灯台のような建物。以前レジャー施設として使われていたものらしい。このあたりは浅く、近づかない方がいい。
地層の色が上と下で違う。火山活動があったのだろう。
波消しブロックの向こう側にある港に入ってみると、定置網漁船などでギッシリだった。
矢堅崎を回り込み、入江を南下していくと奈摩漁港だ。
かっては以西底引き網漁船の基地として栄えた港も今は閑散。
広すぎてどこに泊めるか迷うほど。
桟橋もあったが、漁協の前にあるのでやめておいた。港に散歩に来た人の話ではこの桟橋は外来艇用とのことで、ヨットが3艇泊まっていたこともあるとのことだったが未確認。北西風がまともに当たる場所だから、冬場に係留できればありがたい。
漁業基地だったころは人口も多く、子供たちもたくさんいたに違いない。この上郷小学校の校舎は4階建て。今の児童数は70人くらいとのことなので、このあたりでは多い方だ。
10年ぶりくらいで来たら、新しい建物がふえていた。これは介護施設だった。
壁の一部が落ちた古い建物、水産物加工場らしい。
新築の家もそこそこあった。
3月まで放送されていたNHK朝ドラで五島が舞台の一つとなったことで、他県の人たちにはうらやましく思われていた面もあった。
五島市に住む知り合い二人は生粋のローカルだが、その朝ドラの言葉がおかしいと不満気だったのは意外だった。おばさんという意味で「ばんば」が使われていたが、実際にはババアに近いニュアンスであり、強い違和感を持ったとのこと。また、あいづちの「およ」は絶対にあんな場面では使わないそうだ。
二人とも興奮すると五島弁が出て意味不明となる箇所があり、聞き直さないといけないくらいの五島人なのだ。長崎市にも五島出身の人は多く、生粋の長崎ローカルに言わせると五島出身者は言葉ですぐわかるそうだ。
ふだんは標準語っぽく話すので違いがわからないが、本音で話し始めると何となく感じる、20年以上長崎に住んでいてもそれくらいのものだ。言葉は同じでもアクセントが違ったりする。おもしろいものだ。
堤防越しに翌日向かう島々が見えた。