黒部峡谷断想 ① | junとさらくのブログ

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さらくSALAKUは船名です。

  黒部峡谷と聞いて思い浮かべるイメージは人それぞれ。

宇奈月のセレネ美術館では7人の日本画家が描いた黒部が見られる。

 

 

 十字峡から剣岳へつながる峻険な谷は、経験豊富なアルピニスト以外の立ち入りを拒んでいる。その上流にある滝を描いた作品。

 斜めに描かれたせいで、水がこちらへほとばしり落ちて来る感覚が湧いてくる。

 

 BSPで放送された「幻の滝、剣大滝」、ドローンが捉えたそのスケールの大きさと、絶壁のトラバースシーンを凝縮した凄みがある絵だ。

 

 同じ画家の作品で、壁とあるのはどこのことかと思うと…

 

 このダムのようである、黒四ダム。

画家にこのダムを黒っぽく描かせたのは、どうしてだろうか。

セレネ展示の作品中、もっとも惹かれた絵だった。

 

 4年前に参加した黒部ルート見学会

欅平から仙人谷ダムまでトンネル内を走るこのトロッコ列車に乗った。

 

 主催しているのはこの会社だ。

 

 トロッコ車内で係りの人から見せてもらった戦前のトンネル掘削工事の写真。岩盤の最高温度が160度に達した高熱隧道内工事、後方から水をかけてもらいながら作業したが、20分交代でないと体が持たなかった。

 初期の作業では岩盤にダイナマイトを差し込んだだけで暴発し、作業者の体はバラバラになったという。

 次もその次の写真も車内での説明で見せてもらったもの。

 

 あまりに熱いので、坑道の天井にシャワーを取り付けて放水し、坑内の温度を冷やした。そこまでしても、坑夫たちの足元を流れる水は35度に達した。

 

 当時の阿曽原の様子。作業員宿舎(飯場と呼ばれた)や機械修理場などが建ち並んでいた。トンネルを掘るために山腹から横に掘り進む横坑の工事が行われた。

 

 白い煙は高熱隧道の熱を逃がすために掘られた竪坑から出ていたもので、その位置から欅平から仙人谷ダム建設地までを結ぶトンネルは谷の斜面からさほど深い位置ではなく、斜面と並行した地中に掘削されていたことがわかる。

 

 大阪の軍事工場などへの早期の送電が要求されていたため、工期を短くするために横坑が多数掘られ、地中から両方向へ向かってトンネル掘削が行われた。

 

 これが現在の阿曽原小屋。この山の反対側に仙人谷ダムはあり、登山者は一山超えて行かなければならないが、仮にトンネルを歩いて行けば15分くらいでは? もっとも関電が許可しないからできない話し。

 

 右上に阿曽原小屋、煙はゴミを焼いていたため。

かなりの急斜面に建てられていることがわかる。冬季には雪崩の通り道となるため、小屋は分解できるようプレハブ造り。

 

 小屋の基礎部分はトンネル掘削工事をしていた当時のコンクリート製施設跡を利用。

 

 自然のままではこうした平坦な土地はできない。キャンプ場も当時の飯場や宿舎があったところ。ここにも横坑の出入り口があるが、普段は柵に鍵がかかっている。阿曽原小屋はこの横坑を利用して人や食料などの輸送をトロッコ電車で行っているのだろう。

 

 温泉の奥の横坑からはいまだに湯気が出ている。この中に貯まった湯を引いて温泉としている。簀の子が置いてあるのは、雨の日にトンネル内を脱衣場にするため。入ってみると湯気がもうもうとしていて、早々に出て来た。

 

 こちらは仙人谷ダム施設内を一部通っている登山道で撮った一枚。高い温度のためレンズが曇ってしまった。トロッコ電車用レールと、岩むき出しの壁が何とか写った。このレールが阿曾原、欅平まで敷かれている。

 

 戦前に完成したダムだけに、コンクリートが黒っぽくなっている。

こんなに急峻な峡谷に突貫工事で建設したため、多くの死者が出た。おまけに大量の雪が降る冬季も工事を続け、雪崩でさらに死者が増えた。

 

 吉村昭の「高熱隧道」には、死者の数は少なくとも300人という書き方がしてある。あまりに厳しい環境での重労働のため日本人は集まらなくなり、植民地だった朝鮮で労働者を集めたという。

 

 重労働、高熱隧道、雪崩、谷底への転落…、最悪の建設現場だった。

 

 6月になっても、滝の下には谷を埋める雪。

年によって雪の状態は違うが、このダム上流の下の廊下では10月になっても登山道が積雪でふさがれていることがある。

 

 今年も黒四ダムから阿曽原までの下の廊下の開通は9月下旬まで待たなければならなかった。

 

 トロッコ電車が通る橋の下には巨大な鉄管。電車3台を入れることができるくらいの太さか。仙人谷ダムで取水した水を、欅平のすぐ上流にある関西電力黒部第三発電所まで送るためのもの。

 

 山中にはトロッコ電車のトンネルとは別に、こうした鉄管を通すためのトンネルも多数掘られているのだ。いかに規模の大きな工事が黒部峡谷の山中で行われたかを垣間見ることができる数少ない場所だ。