私的軍港クルーズ ② | junとさらくのブログ

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さらくSALAKUは船名です。

 また別なのが来た。これは西海市の大島や池島あたりへ行く高速船だ。

 

 かなりのスピードで向かってきたのは初めて見る小型船だった。走って行く方向を見ていたら横瀬の方向だった。針尾瀬戸方面に点在する小さな港を回る船らしい。以前からある航路だが船が新しくなった。

 

 新造船であることを誇るかのように25ノット以上で走って来た。大島、池島航路の船もカタマランで同じくらいのスピードを出す。経済速度で走るってこともできないだろうけど、燃料は食うだろうな。

 

 右の湾内からはクレーンを載せた台船が出てきた。後方の島は高島、車で205号線を長崎方向から来るとこの形のいい島が目に入る。

 

 このあたりが崎辺地区らしい。陸自の崎辺分屯地と呼ばれ水陸機動団の基地だ。いよいよ軍港クルーズの始まりだ!

 

 

 尖閣諸島を日本が国有化して以来、中国との間に領有権をめぐって係争が生じている。お互い海上の警察組織である海上保安部と中国海警局の船舶に尖閣の周囲を遊弋させてにらみ合い状態を続けてきた。

 最近はウィルスのことばかりでニュースにはまったく出てこないのだが、どうなっているのだろうか。尖閣諸島が沈んだわけでもなさそうなのに不思議なことではある。

 

 ともあれ、これは危機だ国難だと言い募っていた都知事に喝采を送って募金した人も多かった。なんと30億円も集まったそうだが、この金はどこへ行ったのだろうか。都庁舎の金庫の中か?

 

 そんなことで軍は侵略に備えよとなり設立されたのが、水陸機動団だった。同様の任務を持つ部隊を昔の海軍は陸戦隊と呼び、アメリカ軍はマリンと呼んで海兵隊と訳された。海自ならともかく陸自が陸戦隊と命名するわけにもいかず、名称には腐心したようだ。

 

 これはいったい何だろうか。燃料庫?弾薬庫?司令部?

水陸機動団は2年前に設立され二つの連隊、2400人が兵力だ。

離島奪還の専門部隊とされ、水陸両用の装甲兵員輸送車8両を持っている。

 

 これまた奇妙な建築物だ。巨大なダクトはいったい何のためか。貼り付けられたような窓のある3階建ては何か?窓があるから人が使う部屋があるということだ。

 

 別な方向から見るとこうなる。民間の建物なら冷凍倉庫となるだろうが、軍事となると?何らかの訓練施設ではないだろうか。

 

 好奇心を掻き立てられる軍港クルーズだが、我を忘れて軍事施設の観察に熱中しているヒマはなかった。思ったよりも商船の航行が多いのだ。

 今度は内航船だ。たいていは気のいい船長さんでVHFで呼ぶと答えてくれるが、中にはあのVHF普及に反対するタチの悪い日本内航海運組合総連合の息がかかっているのか、イジワルなことをしてくる船もある。

 

 これはまた奇妙なものが現れた。モスラの蛹(さなぎ)でも飼っているのか?

 

 今回わかったのは、こうした施設を囲う柵の中に青い看板が立っているのは米軍の施設だということだった。入口近くに見える青いものがそれだ。

 

 

 別な場所で撮った写真だが、こんなことが書かれている。

 

 総瓦葺きのかなり大きな建物が人口の土手で囲まれている。普通ありえない建築物だ。

 

 

 旗竿のような棒が林立しているのも普通ではない。アンテナでもなさそうだ。熟考したところ、これらは弾薬庫であり棒は避雷針であろうという結論に達した。

 

 これは白く塗装されているので一見新しい建物に見える。しかしおそらく、先の大戦で米軍が兵舎や倉庫として使ったカマボコ型ブリキ製の建物。ブリキでわからなければトタンと言い換えてもいいのかもしれない。軽量で運ぶのが楽なうえ簡単に組み立てられる。遺骨収集に行ったガダルカナル島などソロモン諸島では地元の人たちがまだ使っていたのを見たから、けっこう長持ちするようだ。もっとも錆だらけで黒っぽい茶色になっていたが。

 

 写真を子細に見ると入り口に RENOVATION OFFICE の文字が見えたので米軍の使う建物ではないか。

 

 

 小さな湾の奥にも瓦屋根と多数の棒が見えた。これらも火薬庫だろう。タワーが3本立っていて、やはり避雷針ではないかと思う。

 

 

 佐世保港内にはあちこちに岩礁がある。大型船が通る中央の航路付近にはないが、東側の海岸に沿った海域に多いから入港していく小型船にとってはアブナイ存在だ。

 

 

 岩礁後方は商船を建造している佐世保重工業。

 

 その右側に海自護衛艦が見えてきた。いよいよ軍港の内奥へと進入開始だ!