コンクリートの壁にえぐられたような複数の穴。
鉄板にも穴が。
熊本県菊池市の農業地帯に残されたコンクリートで造られた古い建物。汚れてはいるが、かなり頑丈そうな造りだ。
その近くにあった六角形のコンクリート構築物。
隣には門柱らしきもの。2m以上の高さでかなりの厚みがある。
扉の蝶番のようだ。
「くまもと戦争遺跡・文化遺産ネットワーク」のパンフレットに掲載された写真で、門柱の表札に書かれた文字は「太刀洗陸軍飛行学校 菊池教育隊」ではないかと思う。右端の小屋のようなものの基礎部分が前掲した六角形のコンクリート構築物で、番兵が待機する立哨所だった。
(以下に掲載する白黒写真も、すべて「くまもと戦争遺跡・文化遺産ネットワーク」のパンフレットより)
整列した陸軍将兵と格納庫などの建物。この陸軍飛行学校の規模の大きさがわかる。
パンフレットには「陸軍幹部候補生第九期訓練生」とある。顔つきから20代後半くらいに見えるので、教官クラスではないだろうか。下士官の教官がこれから将校になるための訓練を受けるということか。
赤とんぼと呼ばれた九五式中等練習機がこの飛行学校の主力機だった。複葉機で翼や胴体には布が使われていた。
赤トンボが地上からキクチと読める形に並んで編隊飛行中。その上空にも多数の同型機らしき機影が見える。
菊池市泗水町の孔子公園。
このミュージアムは昭和15年から敗戦まで菊池にあった陸軍の飛行場に関係する資料を展示している。
右側の大きなものは戦前の飛行機の木製プロペラ。合板から削り出しでつくられたもの。こちら側のプロペラは切り取られていた。あまりに重かったためか、場所をとるためか?
飛行機搭乗員になるための座学に使われていた机と長椅子だという。
当時の写真には、なるほど同じような机が写っている。黒板には「航空魂 底力」と書いてあるそうだ。
他に当時の兵舎や教室、寮、食堂など施設の模型や図も見ることができる。
昭和15年現在の菊池市の丘陵地帯に陸軍太刀洗飛行学校教育隊が発足し、通信学校、気象観測所、病院なども併設されて最盛期には3千人近い将兵が勤務した。
円形の塔が描かれている。これは基地の飲料水をまかなう給水塔だった。
これが図に描かれた給水塔の現在の姿だ。