人それぞれにテーマがありますね?
例えば、お母さんに「ありがとう」と言えない
お父さんに「大好き」と言えない
こんな小さなことだけれど、心に大きな壁があって、言えないのです
父の介護を通して、父に「大好き」も言えました。
父が空へ旅立ってから、しばらくは母にイラつくことがありましたが
最近は、随分優しくできるようになりました
残されたテーマは、弟でした。
30年近く、いろんな確執が、時を変え・場所を変えて、噴火してきました。
これまでに、何度も語りかけるチャレンジもしました。
その度に、ぶつかってきたり・無視する
弟に、心が壊れそうになっていました。
悲しみと恐怖で、弟とのことに取り組まない時もありました。
ですが、生きている間に片づけておかないと、また来世で繰り返してしまう
そう思って、母と向き合うようになって、弟とのことも意識するようになったのです。
そして、今日お昼ご飯の準備が整うのを待っていた弟に「できたよ」と言えたのです
やっと、自分の中で壁を超えることができました
弟の反応に、心を痛める必要がないと理解できたのです。
仲良くなることがゴールだと思っていた頃もありましたが、そうではないという事もわかりました。
相手がどんな態度をとっていても、自分の中に反応するパターンがあるかどうかが問題なのです。
私自身が、違和感なく言葉を伝えることができれば、それでいいのです。
私が投げかけた言葉や現象が、弟にとってどう受け止められるかは弟の問題です。
弟にとって、何かが変化したかどうかはわかりません。
それでいいのだと、わかりました
弟のテーマと私のテーマは、違うからです。
魂のテーマに向き合うことを意識して、30年近く生きてきました。
弟のテーマをも、一緒に背負おうとした時もありましたが、止めました。
向き合うことから逃げている人と、一緒には進むことができないと理解できたからです。
自分のエゴを、相手に押し付けることはできないとわかったからです。
逃げるという体験を弟の魂が望んでいるのであれば、それを邪魔することはできません。
「今はまだ逃げたいんだね」と理解してあげることだけなのだと思っています。
自分の周りの世界は、自分の鏡です。
自分のテーマが完了すれば、自分の世界が変化することでしょう。
共に暮らす人や場所も変わることでしょう。
家族といえども、テーマが違い・魂の学びが違えば、別れていくことになります。
それをしっかりと受け止めて、更に自分と向き合っていこうと思っています