なんなら、
大多数の人は気絶したまま生きている。
あるある探○隊の○川くんのように。
非HSPさんは、ある意味仕方なしだし(←言い方)、
ある意味それでいい。
というかそうするしかないのだと思う。恐らく。
(もちろん、だからこその素晴らしい生き様の非HSPさんたちはたくさん実在する。)
世のHSP持ちさんよ。
非HSPさんより幅広い感受性を持っているのに、
センサーを持っているのに、
取り扱えない、
活かさない、って
おかしくない⁉︎
もう一度書くよ。
世のHSP持ちさん。
非HSPさんより幅広い感受性を持っているのに、
センサーを持っているのに、
取り扱えない、
活かさない、って
お・か・し・く・な・い⁉︎
お
か
し
く
な
い
?
ウザ。笑。
責めてはいない。
そんな自分をいったん疑おう。
是非とも積極的に疑ってほしい。
私は本気でそう思うのです。
アーロン博士の提唱したこの概念が真実であるならば。
私は「逃げ」ではなく、「理解」のためにこれを信じたい。
100年後に、あの概念はなかったねと言われようが、
今の時代を生きていてこんな概念に心が動いた私としては、
これを指標に
HSPのせいにして生きる ではなく
HSPのおかげでよりよく生きられる にして生きたい。まずは自分のために(ここ大事)。
なぜならその後で人、社会のために、私たちでなければできない切り口がきっとある。いや、きっとなんて弱っちいものではなく、確かに存在するからだ。
私はそれを少なからずとも体現していると自負している。
だから気絶してる場合なんかじゃない。
もしかして私もそうなのかな。とりあえずハナシ聞いて。
と思った方は、こちら。↓
(こちらがHSPだの違うだの決めつけることはありませんのでご安心を。^ ^)
まずは「声」から始めてゆるめてみませんか。
興味を1ミクロンでも感じた方は↓