渋沢栄一 不出来な玄孫 サラダのきもち 料理教室 -2ページ目

渋沢栄一 不出来な玄孫 サラダのきもち 料理教室

渋沢栄一の肖像が、新一万円札に使われるとの報を聞いて、栄一、岩佐純の玄孫、児玉源太郎、穂積陳重のひ孫、重遠の孫、岩佐美代子の次男である私の、思い描くところを68年の人生と、ご先祖様のことを絡めてつづってみたい。

私が現在オーガニックレストランをやっている原因のなにがしかは、栄一の味覚にあるのではないか、と思うことがある。


食に限らず万事について、偏見なく、臆する事のない進取の気質は、見事なものだ。

私は「あり合わせ」派だ。料理は、基本 手元にある材料から考える。物が壊れたら、手近にあるものを使って修理する。

世間的に見れば、下の上か、せいぜい中の下の収入で暮らしてきたが、特段困る事は無い。


栄一が、「『あり合わせ』でやってきた。」などと言ったら、ひんしゅくを買いそうだ。けれど、「現実」「現状」からの出発=リアリズムが、「あり合わせ」の本質なのではないだろうか。


一方、小四郎の「原理主義」は、理想=空想からの出発で、「無いものねだり」だったのではなかろうか。


「あり合わせ」で、ほとんどの事は何とかなる。ただし、「あり合わせ」派は、いい加減になり易い。そこは自戒しておきたい。

現実への、有効な対処能力をもたない教条主義は、どこから生まれるのだろうか。

思い描く力の持つ、強大な拡張力をコントロール出来なければ、観念に振り回され、観念で、現実を裁断しようとするに至る。

観念は自由に拡張し、行為は意図とは別に結果する。


教条主義の害悪は、事後に他者から見れば明らかだ。しかし、渦中にある当事者にとって、教条に囚われているか否かを自覚するのは困難だ。


例えばオリンピック、惇忠の言葉を借りれば、そこに「大義」はあるのか。


平岡円四郎が存(ながら)えていたならば、日本の歴史も、別のものに成っていたかも知れない。