渋沢栄一 不出来な玄孫 サラダのきもち 料理教室

渋沢栄一 不出来な玄孫 サラダのきもち 料理教室

渋沢栄一の肖像が、新一万円札に使われるとの報を聞いて、栄一、岩佐純の玄孫、児玉源太郎、穂積陳重のひ孫、重遠の孫、岩佐美代子の次男である私の、思い描くところを68年の人生と、ご先祖様のことを絡めてつづってみたい。

総じて、良く描けていた、と思う。いかにも早足で、大端折りではあったが。


「皆の幸せ」という大目標からぶれる事なく、志したほとんど全ての事を達成し得たことは、幸福であったと思う。

それでも、招来した世界は、描いたものとは違うものだった。

その事の責任を、栄一に負わせるのは、酷なことだろう。


アメリカ横断列車から見た油田開発の煙は、栄一の中では文明の象徴であったが、今日観れば、また、自然破壊の象徴でもある。


「皆の幸せ」の中身は、決して明らかではない。「皆」の中に、自然環境、地球環境が含まれると思われてきたのは最近のことだ。


栄一の志を受け継ぐとは、その行いを真似ることでは無く、心を引き受ける事だと思う。



長らく感想を書かずにいた。

とても良く描かれていると思うが、何せ盛りだくさんと言うか、おおはしょりと言うか、なかなか焦点を絞り辛い。そうこうする内に、大分経ってしまった。


栄一の精神が、如何なるものであったかを想うと、江戸儒学の、健全な発展形態であったのではないか、と思う。(一部そこから外れた?場面も描かれていたが・・)


皆が幸せであるために、あるべき国の姿を描き、その実現を画する。それだけを、やっていたのだと思う。