有り得ないことが起こる時

先月末、現職のアメリカの大統領としては初となるオバマ大統領の被爆地の訪問は、歴史的に言えば教科書に載るくらいの出来事として、報道されました。

原爆が投下されて71年後のことでした。

原爆を落とした国と、落とされた国が一つになって、手を結んでいる。

私が住んでいる長崎でもこのニュースは、ライブ中継され、特別な想いで見ていた方もいることでしょう。

私の母も母の兄弟も、父の兄弟も被爆者で私は被爆2世としてこの地に生まれた。

小さい頃から夏休みになると、原爆投下の8月9日が登校日になり、平和学習が行われます。

この身体の中に、破壊と創造という記憶遺伝子があることは言うまでもありません。

伊勢志摩サミットというタイミング、その前にアメリカの要人が広島を訪れていた。

これもまたいくつかの条件が揃ったことが、訪問を実現させた事に繋がった。

そんな歴史的快挙のニュースは世界中を駆け巡りました。

演説の中で私が最も感じたことはこの部分でした。



「その魂が私たちに話しかけてくる。彼らはわれわれに対し、
もっと内なる心に目をむけ、自分の今の姿とこれからなるであろう姿を見るように訴える。」




それから今度はこんな事件が起きました。

それは、7歳の大和君が北海道の山中で置き去りにされた事件です。

1週間の捜索にもかかわらず、見つからなかった。

毎日、命の時間が短くなっていく。

子を持つ親の気持ち、眠れない日々が続いたことでしょう。

罪悪感が極限まで来ると、子供の死という最悪な結末にも成り得た。

しかし、いくつかの偶然が重なって、奇跡的にけがもなく無事に発見された。

大和君は、何かに守られていると感じずにはいられなかった。

このニュースもまた世界中を駆け巡った。



この2つの有り得ないことが起こった大きなニュースは、私たちに希望を与えた。

有り得ないことが起こる・・・これがメッセージとして駆け巡る。



そして有り得ないと思っている思い込みは、有り得ないことではない。

この感覚が、ずっと駆け巡っているのです。

それが普通になる時が来る。

有り得ない事の中には、良い事も悪い事もある。

前述の2つの大きな事件は、有り得ないことが起こったこととして、紹介させていただきました。



こんなことを感じていると、身の回りで家族の関係性の有り得ない報告が続いています。

色んな所でリンクしていることを感じてやみません。