こんにちは。

 

 

さくやともえと申します(´▽`*)

 

 

 

 

続きです。

 

 

 

 

 

ともえが訊かれていないのに

声を掛けた理由

 

 

妹さんが

 

「お姉ちゃんのせいではない」

 

こちらへ向けて

しきりに訴えていたことが

原因です。

 

 

 

 

 

ご依頼者様は、

 

表に出す言葉

 

心の表面で思う気持ち

 

 

「仕方のないことだった」

 

 

と、

頭で考えて割り切っていましたが、

 

 

 

 

ふとしたときに

心の底から滲み出る

 

「あの時こうしていれば」

 

「私が救えた、

その余地はあった」

 

 

という

 

 

妹さんの魂に影響していたのでしょう

 

 

 

 

 

死者の魂そのものより

残された者の念のほうが

影響しやすいのかな?

 

と思うこともあります。

 

 

 

忘れないことは

供養するために大切だけど

 

 

たとえば、

 

「逝かないで」強く思い

過ごし続けるなどすると

 

呼び戻されるように

魂はまだそこに居てしまうのかも…

 

本当のところ(この世の理)は

ともえにもわかりませんが

 

そう考えると

腑に落ちることが

これまでたくさんあります。

 

 

 

 

 

 

死後の魂を視ることは

霊媒師さんたちに比べると

あまり得意ではありませんが

 

 

強く残っている場合

生霊が自我を持つように、

 

死後の出来事にも

干渉してくることがあります

 

 

 

たとえば

死を知らずに(気付かずに)

残っている場合なんかも

死後の出来事に

よく干渉してくるなあ

 

と思いますが、

 

 

大抵は

残っていたとしても

生前から成長することはなく

 

 

死んだらそこでストップ

 

 

新しく何か思うことはなく

 

死後に自我を持って

訴えかけてくることはしません。

 

 

 

 

 

 

どうしたら強く残るのか?

 

無念であったから残るのか?


といえば

 

それも違って、

 

 

 

これも残りやすいのは

性質にもよるのかなあ

と思います。

 

 

 

意外と霊感体質の人のほうが

理をスッと受け入れるのか

 

この世に留まらず

サッサと昇って

 

サッサと転生しているイメージ。

 

 

 

実際のことは

わからないけどね。

 

 

 

 

そこから

血族の守護に就く魂もあるけど

 

これは

生前の思いの強さもあるのでしょうが

割とランダムなのかな?

 

と思います。

 

 

 

 

 

いずれにしても

 

死後に魂だけで

あれこれ考えたり

なにか画策したり

 

まるで生きているように

この世に留まることはそうない。

 

 

 

魂は

強烈な念のカタマリ

だと思えば良いと思います。

(この考え方に怒る同業もいるけど

ともえが視ているのはそういう感じ)

 

 

 

肉体を持ってして

初めて念は生まれるもの。

 

 

 

死霊とは

 

肉体が潰えても

昇らずに

留まっている感じ

 

 

 

通常は、

 

肉体を得ていない以上

新たに思考することはない

 

 

生前持っていた思考で

 

ただ

そこにいるだけ。

 

 

 

 

護り、

 

彷徨い、

 

時に苦しみ続ける魂というのは

 

生霊が自我を持ち始めることくらい

 

本当に稀なことなのです。

 

 

 

 

 

妹さんの魂が

昇れていないことを知ったとき

 

ご依頼者さまは

 

「この世に未練があるのでは」

 

と心配されましたが

 

 

 

未練があっても

昇る魂がほとんどなので

 

本当に亡くなった環境や

タイミングというか

 

運というか

 

体質というか

 

 

そんな感じで、

 

 

未練があるから留まる

 

というわけではありません。

 

 

 

 

 

未練があると

留まりやすくなるのかな?

 

と、

ともえも思った時期もありましたが

 

 

未練が全くなく

心配事もなく

 

 

大往生!やってやったぜ!

アバヨ☆この世!

 

 

と昇る人のほうが少ないのだと

気付きました。

 

 

 

 

まあ考えてみればそうよね。

 

 

やり残したことはない

と言っても

 

 

残していく子どものこと

孫の成長

 

生への執着はとうになくても

 

 

「もう少し見たかったな」

とか

 

 

死の間際、

少し寂しい気持ちで

思うものなのかもしれません。

 

 

 

苦しんで苦しんで

やっと楽になれる

という死であったとしても

 

 

肉体の生存本能で

 

いざその時になって

死を喜ぶ人は

そうそういないものなのかも。

 

 

 

 

 

えー!

私は大丈夫!

 

もう十分生きたし!

 

長生きしたくないし!

 

 

という人でも

 

いざその瞬間、

 

生が途切れる瞬間、

 

 

肉体がOFFになる瞬間

 

 

魂が抜けていくその時

というのは

 

旅立ちを喜ぶことにはならない

 

 

 

そういうものなのでしょう。

 

 

 

 

 

 

未練があったのでは

 

と心配する必要はなく、

 

 

自分が呼び戻していないか

 

供養の範囲を超えていないか

 

 

それだけ心配していれば

良いと思います。

 

 

 

 

 

 

事故などで

突然亡くなった場合

 

供養に黙々と努めるほうが

難しいものだし

 

無理に気持ちを抑える必要は

全くないけど

 

 

 

魂と向き合うときに

 

「逝かないでほしかった」

「自分の側にいて」

 

と思うにしても

 

 

 

「どうか安らかに」

 

という心を

基盤として持っていると

良いかもしれませんね。

 

 

 

 

 

ともえ。

 

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