19日目はちょっと内容が重くなります
告知事項
の項です
内容は
告知の場合
自分以外の判断が必要な場合に意見を尊重してほしい人
氏名: 連絡先:
病名・症状・余命に関する告知
告知したい人
□ 家族全員 □ 特定の家族
□ 友人・知人 □ すべての人に
告知したくない人
氏名: 理由:
氏名: 理由:
告知内容
□ 病名や症状は教えないでほしい
□ 病名だけ教えてほしい
□ 余命が( )ヶ月と診断された場合、病名・余命すべて教えてほしい
□ 病名や症状も教えてほしい
余命数ヶ月と診断された場合の希望
となっています
重い‥
母親のときに経験していますが
できれば遭遇したくない状況です
余命が宣告されたとき
本人に隠しているのは家族はつらいです
母の時は告知はあっさりとされました
病院で先生のところに母と妹と行き検査結果を聞きました
その時先生は「悪性の肺がんですです」と
私と妹は驚きました
「告知するかどうか、家族に了解を得てからじゃないの?」と思いましたが
おそらく尋ねられていたら決められなかったかも
いまは治療法もあるせいか、告知するケースが多いようです
母は認知症とかではなかったのですが
信じたくなかったのか
退院してからの生活の話を度々していました
私たちは話を合わせるしかありませんでした
そのうち
痛み止めのモルヒネで意識がもうろうとして
幻覚を見るようになり
テレビの情報とごっちゃになるのか
「ゴルバチョフが家に来るから掃除をしておいて」
なんて言ったり
「自分でもなんかおかしいこと言ってると思うんだ」
と話す日もありました
ベッドで体が動かなかくなってからの
余命宣告は必要でしょうか
もうできることはあまりありません
体の状態は自分でもなんとなくわかるでしょう
もし余命宣告されるなら
体が動くうちのほうが
やれることは増える気がします
母は1度外出許可をもらって家に帰ったことがありました
その頃はまだ元気もありました
部屋をかたづけたかったようです
でも、ずっとベッドに寝てたので脚の筋力は落ち
思うように動けませんでした
それでも
1度家に帰ることができたのは良かったと思います
母が告知されてからの経緯を整理します
がんと診断されて
1度は肺の切除をうけるために入院したのですが
夜中に帰ってきてしまいました
「手術はしない。酸素ボンベにずっとつながれるのは嫌」
というのです
酸素ボンベをずっとひきずっている人を知っていて
そうなりたくないと思ったようです
病院にお詫びの連絡をし、数ヶ月家ですごしていましたが
やがて激しい頭痛がし、吐くようになったので再び病院へ
脳に転移しているとのことで
そこから再び入院しました
痛み止めのためモルヒネを使用
「とても楽になった。連れてきてくれてありがとう」と
母に感謝されました
手術や治療をせず、経過観察だけでしたが
受け入れてくれた病院に感謝でした
告知された3ヶ月を過ぎ、母は半年後に亡くなりました
手術を勧めていれば違っていたかなとか
思わないわけではないですが
母の希望がはっきりしていたので
あまり後悔はありません
「おつかれさまでした」
と見送ることができました
今日はそんな
ちょっとつらい日々を思い出しました