起業塾の宿題 「自分史」の続きです
前回はこちら↓
それまであまり世の中のことに興味が無かった私。
(今でもあんまり無いのは、星のせいらしい)
↑ホロスコープ、上半分は1コだけという極端な配置
中学からようやく音楽にハマります
この頃はB'z
稲葉さん、カッコいいよねヽ(*´∀`)ノ
そして高校から一転して
X と LUNA SEA
どこからどうハマったか、誰に勧められたかは覚えてないのだけれど
この頃V系めちゃくちゃ好きでした
しかし、高校時代も無難な人つき合いにやや疲れ、
仲の良い友人たちが自律神経失調症になって自分もうつ気味になったり、
保健室に行くと
「こないだ睡眠薬30錠飲んだけど死ねなかった」
「親の目の前でカッターで腕を切った」
と淡々と話すリスキーな先輩たちがいたり・・・
保健室の机にあった
「完全○○マニュアル」
樹海と手首と薬の項目読んで
「死ぬのって大変なんだな・・・」と思ったり
この頃は「暗黒期」として封印したいくらいダークな時期。
しかし、3年になったときクラスメイトがガラッと変わったんです。
進学コースの違いもあるかも知れないけれど
まず担任の先生が
受け持つと必ず問題児が集まる
と言われる先生(笑)
そこまで変なコはいなかったけど
余裕でのんびり遅刻してくるとか
マニキュアで国旗書いてくるとか(もちろん校則違反)
スカートの丈がめちゃくちゃ短いとか(校則は膝下15センチ)←長いよね?
セーラー服に
安全ピンガンガンくっつけてくる
パンクなコとか(友人)
誕生日プレゼントに
軍服くれるコとか(友人)
わりと自由な人ばかりだったから楽だったのかな?≧(´▽`)≦
まあ、先生としては手を焼くクラスだったと思います(^▽^;)
この頃、音楽雑誌に
「ペンフレンド募集」の手紙を載せてもらったおかげで
各地にペンフレンドがいました。
中でも関西の友人が多かったので、
夏に大阪の従兄弟に会いに行ったついでに
大阪城公園の集まりに参加してみたり
大学は関西が良いな~と。
しかしこの時期、私にとって最大の事件がありました。
1997年9月22日。
X解散。
もうねーどれくらい泣いたかなー
とにかく自傷するくらい落ち込みました。
どれだけ友人達が心配してくれても
もう手当てする気にもならなくて
放っておいたら
紫色に化膿してきて
それを担任に見つかり
家に電話され
親から強制的に
マキロン塗られるという始末Σ(´д`ノ)ノ
いや、もう
受験勉強どころではないわけですよ。
悲しくってしかたない。
つながってた仲間たちと手紙のやり取りをしながらなぐさめあう毎日。
なので、ラストライブ決定!!と聞いたときは
是が非でも行く!!と決めました。
しかし、ここで立ちはだかるのが
親 ですよねー
元々ロックもメタルもV系も興味ない親に
この受験シーズンまっただ中に
東京に行かせてくれ!
しかもライブ!
しかも当日帰れるか謎!(Xのライブって長いから)
そりゃいい顔しませんよね~
でも、どーしても行きたい!
頼み込んでお願いしたら
「推薦受かったら行っていい」
よっしゃー!!絶対受かってやる-!!!
勢い込んで何校も受けまくりました。
結果
全滅。
でも、ここで行かなかったら必ず後悔する。
試験も絶対受けられない。
帰ってきたら死ぬ気で勉強するから行かせて欲しい。
本気の土下座しました(マジで)
誠意が通じたのか、
「行かんかったら気になって勉強が手につかんやろうから」
というありがたい言葉をもらい、いざライブへ。
山口から友人と一緒に行き、
各地のペンフレンド達とも合流し、
ライブでは隣の席のコと意気投合し←わりと初対面でもすぐ友達つくる人
大号泣の大合唱して、
案の定押しまくったライブ。
東京駅でロッカー探すのに逆方向に行き、
最終新幹線に間に合わず途方に暮れる
友人のお父さんの単身赴任してる部屋が空いてたから良かったものの
そこがなかったら寒空の下新年を迎えるとこでした(; ̄ェ ̄)
そして元旦からもう死ぬ気で1ヶ月間勉強して受験。
試験が終わって1週間寝込みましたが(^_^;)
なんとか無事に関西の大学に合格
振り返ってみると、高校時代は
人生を変える素晴らしい先生との出会いもあったし
ライブのために土下座とかバンジー飛んでるし
意外と本気出してたんやなーと(笑)
そして、
これで私も変われるぞー!
と意気込んで大学生活が始まります。が。
続きます