ブログの更新が出来ない状態でいました。


元旦に母と二人で自宅近くの神社に

お参りに行きました。

とても寒い日でした。

帰り、私が少し先を歩いていたのですが

突然、母が私を呼び、後ろを振り向いた

瞬間、意識を失いそのまま倒れました。





これが元気だった最後の姿です。

この10分後に倒れました。


通りかかった人が救急車を呼んでくれて
病院へ運ばれました。



検査の結果、腰の骨が3ヶ所と

右ヒジの骨が折れていました。



腰の場合、肋骨骨折と同じで、そのまま

自然にくっつくのを待つだけなのですが

ヒジの方は手術しなければならない位の

ひどさで手術しないと治りも遅いし

元のようにはいなかいとの事でした。



ヒジの手術は全身麻酔になるそうです。

私の母は87歳。全身麻酔はリスクが高く
手術は出来ないと言うことになりました。



ちょうど利き腕の右です。
これからは不自由な生活になるでしょう。



病院へ入ってから貧血がひどくなって行く
一方だったので胃カメラ検査がありました。


ガンが見つかりました。

胃ガンです。
食道と胃の境目にガン細胞があったそうです。



他にも転移していないか13日に検査があります。



確かに時々胃が痛いと言っていたんです。

その度、近くのドラックストアに行って

胃薬を買って飲ませていたんです。



まさかガンだったなんて・・・

ショックでした。


母は昔から血圧が高く、長いこと血圧の

薬を飲んでいました。

急激な気温の変化には要注意だったのですが

そんなこと、すっかり忘れていて元旦に外に

連れ出してしまいました。



そのために骨折と言う重症を負って

しまったのです。

母が転倒したのは私のせいです。




私は何ひとつ母の体の状態を把握して

いませんでした。



この日以来、私の家から音がなくなりました。

光もなくなりました。




夜寝る時は転倒した姿が目に浮かび

大声で叫びながら泣き崩れる毎日です。
私が悪いんだと、自分を責めること

ばかりです。



思い返してみると、今まで長く母と

二人で暮らしてながらも何ひとつ

母を思いやる気持ちを持って

いませんでいた。



1年半前から母をディサービスに通わせて
いたのですが連絡帳を一度も開いていま

せんでした。




毎日ケンカばかりでテレビを見せて

やるもんかとテレビのリモコンを

取り上げたこともありました。



1年前に母がアルバムの整理を始めた時、

私のアルバムまでいじって 一部捨てたり

したので喧嘩して、残ったすべての

アルバムを手の届かないところに

隠したこともありました。



ケンカした次の日は自分は外で夕食を

食べてきて母親の分は何も買って来な

かった時もありました。




認知が始まっていた母にボケと言った

こともありました。

絶対にやってはいけないことをやって
いましたし何に対しても寛容では

ありませんでした。




でもそれなりの理由があったんです。

母は私を見ていなかった。

何かあれば何でも私の姉に頼み、

すべてを姉に頼っていました。


それが腹立たしくて腹立たしくて

ならなかったのです。


本当は母のために一生懸命に面倒見た

かったんです。




ケンカするたびにどうして私のことを
理解しようとしないんだろうと攻撃する

ばかりしていたけど相手に求めること

より自分が理解しなくちゃならないんだと
今になって初めて気がつきました。




もう一度やり直したい。
今度は仲良く暮らしたい。

美味しいものをたくさん作ってあげたい。



まだ逝かないでほしい。



母の余命次第で動物愛護活動は自粛

するかもしれません。