音楽(おんがく、英語: Music、イタリア語: Musica、中国語: 音乐、スペイン語: Música)の定義には、「音による芸術」といったものから「音による時間の表現」といったものまで、様々なものがある。
(Wikipediaよりhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%B3%E6%A5%BD) 音楽という言葉の定義について、はっきりと説明できる人はいるだろうか。例として冒頭にWikipediaの音楽のページを紹介しましたが、定義の幅が曖昧でかなり広い。他の辞典などを引いても、「音による芸術」のような漠然とした概念しか載っていない。
「音」という文字を使っている以上、音楽は「音」にまつわる何かであることは簡単に連想される。「音」の定義についてはここでは置いておこう。
では、「音」がそこにあればそれは音楽なのだろうか。ただ机を叩いただけ、あるいは話し声などは音楽だろうか。それには違和感を覚える人が多いだろう。
では机をてきとうに叩くだけではなく、なんらかのリズムを叩いたらどうだろう。ただの話し声ではなく、そこに音程をつけたらどうだろう。それは音楽と呼べるものになるのではないだろうか。
鳥や虫の鳴き声はどうだろう。種ごとに特有のリズムや音程があり、自然の中でそれらが響く様子は音楽に例えられることはあるだろうが、果たして本当の音楽なのだろうか。
本当はもっとたくさんの例を出し、検証していくべきなのだろうが、長文になるとまとめるのが大変なので今回の結論を発表しよう。
今の私は、音楽を「人の手によって区切られた時間の中にある音」と定義している。一番大きなポイントは「人の手によって区切られた」というところである。
スティーブ・ライヒという作曲家の『It's Gonna Rain』という曲がある。ミニマル・ミュージックとよばれるジャンルの非常に実験的な楽曲であるが、これは「人の声の一部を意図的に反復している」ことにより音楽として成り立っていると考える。ただの人の声ではなく、それを意図的に反復し、始まりと終わりを区切っている。
ジョン・ケージの『4分33秒』はとても有名な「休符のみ」音楽である。これは一見音楽とは呼べそうにないが、ある空間を4分33秒という時間で区切ることによってそこにある音は音楽と呼べるものに変容する。
音楽には、人によって設定された始まりと終わりがある。鳥の鳴き声も、人がレコーディングし区切りを与えると音楽になる。それが音楽として面白いかどうかは別として。いいかえれば、「時間を設計する」という行為が「音楽をする」ということになる。音楽がの仕事は、「ある区切られた時間の中に音を構成することによって聴衆に特別な体験を与えること」である。
世の中には音楽が溢れている。音楽の種類についてはいつか書きたいと思っているが、そのすべてに触れることは到底叶わない。どのような種類の音楽であれ、人生の限られた時間を特別なものに彩る非常に有意義な存在である。私はクラシック音楽を専門としているが、たくさんの音楽に触れ、人生をより豊かにしていきたい。