「THE・脱出」


午前5時。
すっかり明るくなってきた川沿いの国道をブッ飛ばしながら、これ以上は無いほどに歓喜の雄叫びを上げるオレ。
ま、かぼちゃワインのシュンスケ君など誰も知らんだろうが、オレさえ幸せならそれでいいのである。






昨夜は5年前の雑誌まで読まされたんだが、生憎オレが行きたいと思ったスポットは一つも無かった。
まあ、元々皆が行きたがる様な観光スポットには興味が無いからね。道すがらにあれば寄る程度。





「うおおお~っしゃ!遂に地獄の夜を乗り越えたぞっ!フリ~ダ~~~ム!!」



長かった……
昨夜寝付いたのは深夜2時。目が覚めたのは早朝4時だ。
つまり、昨夜は二時間しか寝ていない。

小一時間の散歩から戻ると、共有スペース(食堂)の灯りは既に消えていた。
要するにオッサンは自室に戻って寝ていたのだが、客であるオレに共有スペースのスイッチがどこにあるかを知らせないまま寝てしまった為、20時過ぎに戻ったオレは部屋にこもるしかなかったのだ。

畳敷きの和室は昼間の熱気がスリランカの様に残っており、蛍光灯を点けた途端、網戸の穴からマイクロ羽虫達が『待ってました!』とばかりに侵入して来る。




(何じゃこりゃ?こんなんで寝れる訳ねーじゃん…)



迷う間も無く財布の小銭ポケットをひっくり返し、ありったけの百円玉をかき集めて機械に投入。
良かった……もし百円玉が無かったら地獄の黙示録だったが、店の金庫に入れておいた釣銭は全て持って来ておいたのだ。
これから9月までは休業という事で、そんなモンを店に置いとく様な事をしても意味が無い。空巣にボーナスを渡す様なものである。




(くっそおお~っ!舐めんなっ、虫嫌いの50代をっ!!)



これまでの長期ツーリングで学んだ事。
それは真夏における虫対策の不備である。
虫除けや痒み止めは勿論だが、そんなモンで安宿にいる蚊や羽虫を撃退出来る訳がない。
宿によっては蚊取り線香を焚いたりするアンポンタンもいるが、あの匂いが室内に充満したら余計に最悪だ。
室内の蚊を殲滅するにはワンプッシュタイプの殺虫剤に限るし、他の羽虫はそれこそキンチョールが最強だ。オレは今回、その両方+アースノーマットまで持参していた。48㍑リアボックス万歳。




(グハハハハハッ♪ざまあみろ羽虫ども!)



広い心はどこに消えたのかというほどの殺戮を繰り広げるオレ。
人の10倍虫に好かれる体質の男を怒らせると、オマエ達には全滅という二文字しか残ってないのだ。準備万端男の殺虫ダンスをとくと味わうがいいっ!!




(よおおおーっしゃ!こんなモンで勘弁しといたろ♪)



目に見えて落ちた大量の羽虫を畳の隅に払いのけ、散歩で汗ばんだTシャツからパンツから何から何まで全て脱ぎ捨てて素っ裸になる。
こうなったらもう一度風呂に入りたいところだが、寝ているオッサンを叩き起こすのも嗅ぐのも嫌だし、何よりも地獄宿の未確認風呂なんかには絶対入りたくない。
綺麗好きな女の人ならここで絶望感を味わうのだろうが、今回のオレはここからが今までとは違うのだ。














ふ~んわりタ~イプのおしりふき~♪←ドラえもん調



いつかはこんな事も起きるんじゃなかろうかと、家から密かに持って来た愛する我が子のおしりふき。
ま、ウェットテイッシュよりも消毒アルコールがキツいくらいの差だろうし大丈夫だろ。ふんわり柔らかだし(←何じゃそら)。






(おおっ!これはいいっ!)




ウェットテイッシュよりも生地が厚めな為、スーッと汗ばみが取れてヒンヤリすべすべ。
まるで一昔前のヘチマコロンみたいではないか!





(潤いを保ち、お肌に浸透♥️)




思わずフルベール化粧品のミセスモデルみたいなセリフが頭を駆け巡り、首から脇から股間に至るまでを黛ジュンの様な気持ちで拭きまくるオレ。
そうか、息子は毎回こんな気持ちのいいモンで拭かれてたのか。







今回はシャンプーとトリートメントも美容室で購入したのを持参。
1本2500円と聞いてちゃぶ台返ししそうになったが、確かに市販のヤツとは別物だ。
が、せめて1500円くらいにして。頼む。






こうなると思い付くのはイケナイ事。
元々は子供の尻を拭く物だから、大人が拭いたらさぞかし気持ちいいんだろうなと考え始める50代。
普段は食べたくても食べられないお子様ランチ同様、一度くらいは思いっきりこれで拭いてみたいもんだ。
よし!明日の朝にでも試してみよう!!
………が、よく考えたらコレ、トイレに流せなかったな。











翌朝4時…



「………ん~………んっ………んあっ、さぶっ!



息子のおしりふきで父のムスコまでフキフキしているうち、いつの間にか気絶する様に寝落ちしていた様だ。
が、素っ裸にタオルケット一枚で18度の冷風に当たっていたせいか、痛いほどの寒さで飛び起きるアホなオレ。
危うくアルプス氷河のアイスマンになるとこだったわ、気を付けよ。







逃げる様にしてライハを後にする事40分。
コンビニの姉ちゃん情報で、早朝から開いてる食堂で朝メシ。






チェックアウトも何もない。
昨夜の話では、あのオーナーは毎朝5時前から一時間ほどウォーキングをしているという。
ならばその時を狙って脱出しないと、グズグズしてたらまたあの生乾き臭に悩まされる事になる。
いや、ウォーキング後なら更にキツい事だけは間違いない。支払いも済んでる事だし、やっぱり一刻も早くここから逃げよう、平家の様に!







「フリ~~ダ~~ム!!……あっ……←冒頭に戻る






南へ向かって爆走中、向こうから近付いて来る人影は、まさしくウォーキング中のオーナーだった。


すれ違い様、振り返ってこっちを見ている姿がミラーに映っていたが、オレは気付いてないフリをした。





「悪い事したかな……」





とは、全く思わなかった。











腹は減っていたが、流石に二時間しか寝てなかったので中華そば。
が、これがビックリするほど美味かった。
あの場所を避けてまた来たい。