(あぁ……あのテラスが見える…)
万平ホテル滞在時、毎日ここでロイヤルミルクティーを飲んだと言われるテラス席。
「いらっしゃいませ。どうぞお好きな席をご利用下さい」
フォーマルな制服に身を包んだスタッフに案内されたカフェテラス。
そこで『お好きな席』と言われても、初めて来た上にガチガチに緊張し、ロボコップみたいな動きを抑えるのに必死なオレにはどうしたらいいのかさっぱり分からんが、そんな時でもオレのコンドル眼だけはひとつの方向をしっかりと捉えていた。
そう、ジョンがお気に入りだったという、あのテラス席である。
(ここや………ここに家族で座ってたんや……)
生憎の雨模様でテラス席は利用不可だったが、せめて一番近い場所で、という想いでテーブル席へ向かう。
……イカン、右足と右腕が同時に出とるぞ。しっかりせいっ!オレっ。
「ゴチュモン、オキマリニナリマシタラ、Ф#◎§£‡∫…」
(……え?ああ、何や外国人スタッフか。かしこまり過ぎて何を言うてんのか分からへんやないかい。も少し大きい声で話してくれよジャマール君)
よく見ると、カフェレストランのウェイターとウェイトレスは全員外国人の様だ。
顔付きからしてインドからの留学生っぽいが、こんな所で働けるってのは余程成績の良い子達なんだろうか(←正社員ではなさそう)?
ま、インドの人口は実質的に世界一だし、向こうの裕福な家庭というのは日本のソレとは比較にならんほどバブリーだ。
上質の教育を受けたであろうこんな子達がバイトしてても不思議じゃないわな。
(ここでもインドかあ……最近はどこにでもインド料理屋がオープンする様になったけど、コイツらのネットワークって、今や華僑より凄いんかもしれんなぁ……)
インドには、過去に二度行った事がある。
一度目はコテンパンに打ちのめされ、二度目のリベンジでは鬼の様な返り討ちに遭ったという苦い思い出が永年に渡って付きまとっているため、正直言ってもう二度と行きたくない。
要するにあそこは合うか合わないかの二択しかないんだが、オレはもう懲り懲りだな(←とか言いながらまた行ったりして)。
ジョンがレシピを伝授したというロイヤルミルクティー。
悪いが紅茶花伝で我慢しとく。
(さてと、腹へったけど、先に例のロイヤルミルクティーを注………ん?)
ジョンのファンなら誰もが注文するというロイヤルミルクティー。
が、その横に表示してある1100円という値段を見て、それまでに計画していた頭の中のスケジュールを全て白紙に戻すオレ。
(なっ………1100円!?アールグレイか何かにミルク入れてシナモンか何か振りかけたヤツが1100円!?…………牛やなくて叶恭子の絞りたて乳でも入れとるのか?このミルクティーは……)
値段にたじろいだのは勿論だが、如何にもジョンのファンが注文しそうなメニューを頼むのも何だか悔しい気がしてきた。
そう、オレの【旅慣れた人のふりゴッコ】は、まだ継続中なのである。
「すみま………」
イカンイカン、こういう場所では声に出さずに手を挙げないとな。
つーか、客はオレの他に二組しかいないんだし、メニュー閉じた時点でこっちに来いよジャマール君。
「ゴチュモン、オキマリデショカ?」
「ホットコーヒー下さい」
「ほとコーヒ……イジョーでヨロシイУР§◎Ф……」
異常なのはオマエの声のボリュームだ、ジャマール君。
格式高いのとヒソヒソ話するのとでは意味が違うし、第一最後の方は何を言うてんのかさっぱり聞き取れへんから。
ちったあバラナシの押売りチルドレンを見習えよ。極端やねん、アンタ達の国民性はっ。
「食事は後から注文しますから、先にコーヒーを下さい」
「カシコマリマシタ……」
なんせオレは【旅慣れた大人】なのである(T-T)
(ふ~っ………つーか、一番安いホットコーヒーが850円かよ。流石は伝統ある高級ホテルやなあ。こんなもん普通に注文する人達って、一体どんな仕事してんのやろ?一昨年くらいにタピオカで一山当てたんやろか?)
店内にいる他の二組は、それぞれ優雅に、そして思い思いに好きなメニューで朝食を食べている。
深紅のカーディガンを羽織った爺さんが一人と、老夫婦とお孫さんらしき姉ちゃんを連れた三人組。
この人達は、オレみたいにメニューの値段なんか気にしない種類の部族なんだろうなあ……
ハッキリ言おう。セブンイレブンの方が美味い。
「オマタセイタシマシタ……ほとコーヒ……」
「あ、ありがと。あと、ミックスサンド下さい」
ジョンが決まって注文していたのはアップルパイか何かだったと思うが、ファンじゃなくても【アップルパイとロイヤルミルクティー】をオッサン独りでオーダーする勇気は無い。
女連れならドサクサに紛れて注文するかもしれないが、出来れば納豆定食が食べたかったオレだけではミックスサンドが精一杯だ。
つか、朝から甘い物ってのもなあ………
オレ、お袋が弁当の隅に必ず入れてた甘い豆とかも絶対食わなかった人だし。
「オマタセイタシマシタ……ミクスЁа‡§……デス」
が、正直言って駅ビルとかにあるヴィ・ド・フランスの方が美味い。
ここで食レポみたいな馬鹿な真似は止めておく。
うん、ここでそういう事をするのは粋じゃない。
ここはきっと、見えないものを感じる場所なんだと思う。
(いつか、泊まる日が来るかなぁ………)
雨避けのシートで覆われたテラス席を見ながら、しみじみとそう思った。
そのうち、どこかで偶然ヨーコと会ったりするんじゃないか?
とか、
その時に、『そういや僕、こないだ万平ホテルでコーヒー飲みましたよ』
なんて、そんな言葉を交わす機会が全く無いって決まった訳じゃない。
人生なんか、どこで何があるか分からんもんだからな。
そう考えると、まだまだやりたい事や行きたい場所って、沢山あるなと思った。
うん、来て良かったなー、軽井沢!
「ごちそうさまでした。チェックお願いします」
「ありがとうございます。お支払い方法は如何されますか?」
「あ、現金でお願いします」
「ありがとうございます。お会計が、2550円となっております」
うん……来て良かっ………た……なあ……軽井沢………
見切り品のホルモンと野菜に1玉30円のうどんを煮込んだだけ。
調味料は宿にあるもので済ませた。