その宿を予約したのは、到着二時間前だった。
(さあ、今日はどこに泊まろうかな~?)
くらいな感じの旅が好きだ。
だから余程の事が無い限りはギリギリまで無計画なのだが、それが原因でエライ目に遭う事も少なくはない。
【歓迎】の文字が物悲しい下呂温泉に到着。
この街に住む皆さんには先に謝っとく。ハンパしてゴメン(←高部知子風)。
宿の予約は主に楽天トラベルを利用していて、選ぶ基準はもちろん【値段の安い順】。
ハッキリ言って静かに寝られればそれでいいという考えなので、カプセルホテルやドミトリー以外ならどこでも構わない。
更に、このコロナ禍で壊滅的打撃を受けている観光地の宿泊施設にとっては、オレみたいなシミッタレ旅行者でもジャンジャカ受け入れて稼働させたいというのが本音のはず。
そう、地元民にしてみれば今は迷惑千万な観光客でも、毎日が死活問題に直面しているこの人達からすれば、非常に残念な貧乏旅行者であるオレでさえ救いの神というのが現実なのだ。
素泊まり3850円。
うん、掛け流しの温泉付きでこの値段だと、下手すりゃゲストハウスのドミトリーより安かったりするぞと思い即予約。
サイトのクチコミでは概ね好評だが、その殆んどに『施設は古いが』と但し書きされているのがチト気になる。
ま、古いっつったって最低限の設備が整ってりゃ構わないし、それを補って余りある素敵な接客でもあれば言う事無しだ。
なんせ看板は『くつろぎの宿』となってるし、クチコミの何件かには『接客が素晴らしい』みたいな事も書いてあった。それが本当なら最高じゃないか。
「こんにちはー」
開けっ放しの玄関から、フロントに向かって声を掛ける。
が、誰もいないロビーはひたすら薄暗く、そこから人が出てくる様子は無い。
「こんにちはー、ごめんくださーい」
予定したチェックインの時間より一時間ほど早くなってしまったせいだろうが、だとしてもここは旅館である。
普通ならロビーの照明くらいは点灯させていてもおかしくないとは思うのだが………
「こんにちはー、すみませーん!!」
「……………あ……はい?」
闇のフロントの奥の闇。
そこから足音も無く出てきた女将さんらしき女性が、『何ですか?』という迷惑そうな顔付きで姿を現した。
「え~っと、さっき楽天トラベルから予約した者なんですけど」
この宿のクチコミを書いた歴代のアンポンタンに告ぐ。
『施設は古いが』の『が』は要らん。
「ああ………ちょっとまだ、お部屋のご用意が……」
チェックインの一時間前に用意が出来てないほど忙しい様には見えないが、宿によっては時間ピッタリにならないと利用出来ない所もあるのだろう。
早く着いたのはこっちの勝手な都合だし、ここは一旦仕切り直しと行くか。
「そうですか。じゃあ、チェックインの時間まで観光でもしてきます」
観光……といっても、バイクで10分も走れば見終わってしまう様な下呂温泉。
しかもオレは温泉県の出身であり、正直言うと温泉郷というのは何処に行っても似たり寄ったりで飽きているふしがある。
ま、この歳になってやっと温泉の有り難さってのが分かっては来たのだが、可愛い彼女と二人で旅しているならともかく、オッサン独りで温泉地を観光したって何一つ面白くない事だけはハッキリしてるので、ただひたすら河原に座って時間が経つのを待つ。
そして……
もしかして事故物件なのだろうか。
熱を計り、記帳を済ませた後に部屋まで案内されるも、その薄暗さとボロボロの館内にドン引きさを隠せないでいるオレ。
一言で言うと、廃病院である。
これを精一杯のお世辞で表したとしても、『老朽化は否めない』とはならない。
廃墟である。
まず、階段や廊下の至る所に積もったホコリを見てドン引きするのだが、何故かそのまま放置してある破壊されたドアストッパーを目にした時は全てを諦めた心境になった。
従業員が気付いてないはずは無いのだが、何故このまま放置してあるのだろう?クラウドファンディング待ちなのか?
昔懐かしいタイル張りと言いたい所だが、実際に見てみるとホコリだらけ。
多分2年くらい掃除してないと思う。
「温泉は24時間、いつでも入れますので」
そう言うと、壁に染み入る様な感じで部屋を出て行く幽霊女将。
終始照明が暗いのもそうだが、明るい場所が苦手なのだろうか?
もしかして、日光にあたると灰になるんじゃあるまいな?
なあ女将さん……いや、何も言うまい。