「ミホコ先生は、平戸に住んどらすよ」





ゆうこ先生の家でそれを聞いた時、正直言って『しまった』と思った。


普段からそうなのだが、同じ日に同じ道を通るのが苦手なオレ。

特に、逆戻りするのが大嫌いな性格はいくつになっても変わらない。


しかも平戸か。

今から向かえば夕方までには着くだろうが、またゲストハウスに泊まるってのもなぁ……

今日は色々あったし、寝るとこくらいはもう少しマシな場所にしたい(←贅沢言うな)。




(あ~、やっぱりホテルとか旅館はそこそこな値段を取りよるなぁ。なんだかんだ言うても観光地なんやな、平戸って)




ネットで調べたホテルや旅館はGOTOが中止になった事もあり、どこも何となくだが割高に感じてしまう。一人での利用だと尚更だ。




(あ~あ、結局は民宿かゲストハウス泊って事になるんか………そうなったら今日は民宿一択やな)




昨日泊まった海沿いのゲストハウスは論外。

疲れている上に、他の宿泊者との交流なんて以ての外。出来るだけ一人でまったり過ごしたい。




(ミホコ先生の家がここか。とすると、一番近い町が紐差やな…………うん、ちょうどいい場所に民宿あるやんか。民宿で素泊まり4000円なら安い方やろ、ここに決めた)




寺院と教会が、小さな町に交差する平戸。
もっとゆっくり滞在出来れば思い入れも出来るのだろうが、昨日も到着したのが夕方で、出発したのが陽も出ていない早朝。
つまり、観光どころか景色さえ楽しめなかった平戸に、またこうして、しかもまた夕方に戻る事になるとは…………
何かタイミングが合わんな、オレと平戸って(←自分のせい)。








(え~~っと…………あ、これかあ)




何とか明るいうちに到着出来たが、まだ宿の予約はしていなかった。
とりあえず部屋が空いているかどうかだけ確認して、対応があまりにも塩だったら他の宿をあたろうと思っていたからだ。



(あら~、こりゃまた年季の入った民宿やなぁ………)



ネットで見た写真よりも、かなりダメージが著しい外観。
オレはこういう古びた宿に慣れてるから構わないが、これから好きな女と平戸を旅する計画がある男子達には一言だけ言っておきたい。
悪い事は言わん、宿は外観で決めろ。






入江に近い事もあり、塩害でどこもサビサビ。
今の彼女と別れたい男子や、鬼嫁と離婚したいマスオさんには超オススメの宿だ。






「こんにちはー、ごめんくださーい」




ここはオレゴン州の森林公園かと思えるほど静まり返った館内。

脱ぎ散らかされたサンダルと埃をかぶった置物。

それらのアイテムが発する圧倒的な絶望感が、ゴンズイ玉となってオレに降りかかって来る。


逃げろ、逃げるんだオレ!

何が悲しくてこんな廃墟に泊らにゃならんのだ!

オマエはもう50過ぎなんだぞ?

人並みに遣える金だって持ってるだろうが!

朝食付きプランで8千円のシーサイドホテルにしろ!

部屋の窓からカモメにパンの耳投げるんだ!

何ならホテルに置いてあるハガキで手紙でも書け!


拝啓   谷村新司殿

お元気ですか?当時中1だった私も、今やすっかり老け込む年頃になってまいりました。

貴方とばんばひろふみさんが二人でやっていたラジオ番組、「青春キャンパス」を聴きながら、当時の私たちは皆、性に目覚めたのです。


みたいな内容で投函しろ!

せっかく来た観光地じゃないか!

温泉にでも浸かって、風呂上がりのフルーツ牛乳を一気飲みしろ!





「は~~い」




事務所っぽい部屋から、暖簾をくぐって出て来た女性。

ここがオレゴンなら出て来るのは木の実ナナのはずだが、目の前に現れたのは極普通に見掛ける様な奥さんだった(←当たり前だ)。




「あ、あのー、予約してないんですけど、部屋は空いてますか?」

(おいオマエ何言うてんねん?逃げろ!さっさと逃げろ!)


「あー、宿泊ですか?はいはい。大丈夫ですけど、まだ用意が出来てないんで30分くらいお待ちいただけますか?」


「分かりました。じゃあそこら辺ぐるっと散歩して来ます」

(何でやねん!さっさと逃げろって!散歩を口実に他の宿探せ!朝食に茶碗蒸し付いてる宿探せ!)


「じゃあ準備しておきます。素泊まりでいいですか?」


「はい。近所に居酒屋とかありますか?」

(おい余計な事言うな!さっさと立ち去って橋の近くの旅館街に行け!そこでチェックインしてスナックでも行こ!)


「すぐそこの交差点を右に行ったらありますよ。多分今日も開いてると思うんですけどねえ」


「分かりました、ありがとうございます。じゃあ30分ほどしたら戻ります」

(そうそう、それでいい!さ、行こ!入口に観光バスが停まってる様な旅館行こ!荷物置いたら旅館の下駄履いて土産屋巡りしよ!)






スーパーの鮮魚コーナーに金魚の水槽。
つまりそういう町だ。






心の声に引き寄せられながらも、やはり格安という二文字からは逃れられそうにない。


いつもそうだが、『ま、寝るだけやしええか』で落ち着くのがオレの悪い癖だ。

この悪い癖のおかげで、これまでに何度酷い目に遭って来た事か。

貧乏人の銭失いとは正にオレの事である。





「あ、ご用意出来てます。案内しますのでお上がり下さい」





丁寧な接客に不釣り合いな館内、というのが正直な感想だ。

二階へと続く階段はいつ掃除したのだろうと思うほど埃っぽく、部屋までの廊下に敷かれた青いカーペットが施設の古さを更に際立たせている。

廃病院なのか?ここは。





「こちらです、どうぞ」






手術室へ運ばれる患者の気分で案内されるオレ。やはり逃げるべきだった。




案内された部屋は広々としていたが、もう10年くらい誰も使ってないんじゃないかと思えるほど古かった。




(またやってもうたか…………)




心の中でそう呟いたが時既に遅し。
背負っていたバックパックを古ぼけた畳の上に置いた。




「明日は何時くらいのご出発ですか?」

「あ、ああ……多分6時くらいには出てると思います」

「そうですか、お早いですね。じゃあ鍵は部屋に置いたままで結構ですので。あと、この裏が教会になってるんですけど、朝早い時間にドラが鳴るんですよ。煩かったらすみません」


(教会にドラ………鐘の間違いじゃねーのか?てか、めっちゃ立派な教会やんか!後で見学しに行ってみようかな)






部屋の窓から見える紐差(ひもさし)教会。
旧浦上天主堂が原爆により倒壊した後は、日本最大の天主堂だったらしい。





(はあ~~、なかなか贅沢な眺めかもしれんなあ、これは。部屋は最悪だけど)




二十歳の頃に初めて旅したニューヨーク。
オレはそこで聖パトリック大聖堂の前を歩いた事があるのだが、余りの美しさに度肝を抜かれた記憶がある。
それからと言うもの、海外を旅する度に教会巡りをしていた事があるのだが、やはりあの時の感動を上回る事はなかったし、ロシア正教の様式に至っては???な感じで、そこから教会巡りにも飽きてしまっていた。

が、スケールや様式は違えどなかなかいいもんだな、こういう立派な教会って。




(あ、そっか。隠れキリシタンの里やもんな、平戸は)




何年か前にテレビで観た、隠れキリシタン(又は潜伏キリシタン)への取材番組。
もう禁令は解かれてるんだし、そんな時代じゃないんだから隠れなくてもいいでしょ?という様な内容だったが、『隠れキリシタンは隠れてナンボ』という考えの信者が殆んどであり、またそれが代々伝わる教えだとして譲らないところに感心した。
何だかよく分からんが、そういう慎ましさみたいなところを持つ彼らが好きだ。歴史は非常に哀しいものだけど。









(あ、いかんいかん。ボケ~っと感動してる場合じゃなかったわ、ミホコ先生の家に行くんやった)










陽も傾いて来た午後4時過ぎ。



三人目の恩師に会うため、オレは再びエンジンをかけた。













写真じゃ分かりづらいが、開業以来替えてないんじゃないかと思うほど古い畳だった。
湿気で重くなった布団が悲しい。