「ミホコ先生は、平戸に住んどらすよ」
ゆうこ先生の家でそれを聞いた時、正直言って『しまった』と思った。
普段からそうなのだが、同じ日に同じ道を通るのが苦手なオレ。
特に、逆戻りするのが大嫌いな性格はいくつになっても変わらない。
しかも平戸か。
今から向かえば夕方までには着くだろうが、またゲストハウスに泊まるってのもなぁ……
今日は色々あったし、寝るとこくらいはもう少しマシな場所にしたい(←贅沢言うな)。
(あ~、やっぱりホテルとか旅館はそこそこな値段を取りよるなぁ。なんだかんだ言うても観光地なんやな、平戸って)
ネットで調べたホテルや旅館はGOTOが中止になった事もあり、どこも何となくだが割高に感じてしまう。一人での利用だと尚更だ。
(あ~あ、結局は民宿かゲストハウス泊って事になるんか………そうなったら今日は民宿一択やな)
昨日泊まった海沿いのゲストハウスは論外。
疲れている上に、他の宿泊者との交流なんて以ての外。出来るだけ一人でまったり過ごしたい。
(ミホコ先生の家がここか。とすると、一番近い町が紐差やな…………うん、ちょうどいい場所に民宿あるやんか。民宿で素泊まり4000円なら安い方やろ、ここに決めた)
「こんにちはー、ごめんくださーい」
ここはオレゴン州の森林公園かと思えるほど静まり返った館内。
脱ぎ散らかされたサンダルと埃をかぶった置物。
それらのアイテムが発する圧倒的な絶望感が、ゴンズイ玉となってオレに降りかかって来る。
逃げろ、逃げるんだオレ!
何が悲しくてこんな廃墟に泊らにゃならんのだ!
オマエはもう50過ぎなんだぞ?
人並みに遣える金だって持ってるだろうが!
朝食付きプランで8千円のシーサイドホテルにしろ!
部屋の窓からカモメにパンの耳投げるんだ!
何ならホテルに置いてあるハガキで手紙でも書け!
拝啓 谷村新司殿
お元気ですか?当時中1だった私も、今やすっかり老け込む年頃になってまいりました。
貴方とばんばひろふみさんが二人でやっていたラジオ番組、「青春キャンパス」を聴きながら、当時の私たちは皆、性に目覚めたのです。
みたいな内容で投函しろ!
せっかく来た観光地じゃないか!
温泉にでも浸かって、風呂上がりのフルーツ牛乳を一気飲みしろ!
「は~~い」
事務所っぽい部屋から、暖簾をくぐって出て来た女性。
ここがオレゴンなら出て来るのは木の実ナナのはずだが、目の前に現れたのは極普通に見掛ける様な奥さんだった(←当たり前だ)。
「あ、あのー、予約してないんですけど、部屋は空いてますか?」
(おいオマエ何言うてんねん?逃げろ!さっさと逃げろ!)
「あー、宿泊ですか?はいはい。大丈夫ですけど、まだ用意が出来てないんで30分くらいお待ちいただけますか?」
「分かりました。じゃあそこら辺ぐるっと散歩して来ます」
(何でやねん!さっさと逃げろって!散歩を口実に他の宿探せ!朝食に茶碗蒸し付いてる宿探せ!)
「じゃあ準備しておきます。素泊まりでいいですか?」
「はい。近所に居酒屋とかありますか?」
(おい余計な事言うな!さっさと立ち去って橋の近くの旅館街に行け!そこでチェックインしてスナックでも行こ!)
「すぐそこの交差点を右に行ったらありますよ。多分今日も開いてると思うんですけどねえ」
「分かりました、ありがとうございます。じゃあ30分ほどしたら戻ります」
(そうそう、それでいい!さ、行こ!入口に観光バスが停まってる様な旅館行こ!荷物置いたら旅館の下駄履いて土産屋巡りしよ!)
心の声に引き寄せられながらも、やはり格安という二文字からは逃れられそうにない。
いつもそうだが、『ま、寝るだけやしええか』で落ち着くのがオレの悪い癖だ。
この悪い癖のおかげで、これまでに何度酷い目に遭って来た事か。
貧乏人の銭失いとは正にオレの事である。
「あ、ご用意出来てます。案内しますのでお上がり下さい」
丁寧な接客に不釣り合いな館内、というのが正直な感想だ。
二階へと続く階段はいつ掃除したのだろうと思うほど埃っぽく、部屋までの廊下に敷かれた青いカーペットが施設の古さを更に際立たせている。
廃病院なのか?ここは。
「こちらです、どうぞ」
陽も傾いて来た午後4時過ぎ。
三人目の恩師に会うため、オレは再びエンジンをかけた。