女将さんが溢した訳アリな含み笑いは気になるが、そこはこっちだって一応は接客業を営む者。

ウチの店でオレが酔っ払ってるならともかく、初めて来た町の、しかも初めて入った店で地元の事に探りを入れてどうなるものでもない。

そんな場所でオレに出来る事と言えば、相手が話す事に、「自分ならこうするかな?」と答える他無いのだ。

ま、オレみたいなバカの言う事ほど信用ならんもんは無いんだけどね。




「何か、あちこち流れてきた若い子がやってる安い宿でしょ?」


「う~ん………よくは知らないんですけどね。そんなとこじゃないですか?」


「最近多いけんね、こっちみたいな田舎に移住してきてな、何かよう知らんけど地域おこし協力隊?そんなんで来て………また、そういうのを地元の新聞とかが取り上げたりするけんね」


「ああ……うん」


「若い子達が来てくれるのは間違いなくいいんやけどね、じゃけど、あん人達は最初から『力になれる』っちスタンスで来ちょんけんな。ウチらからすれば、アンタ達は移住者やけん新鮮な気持ちで起業するんやろうけど、ウチらは生まれた時からここに住んじょんのやで?って言いたいわ。ウチらはそりゃ田舎モンやし、アンタ達移住者が持ってる都会の発想とは違うかも知れんけど、ウチらはずっとこれでやって来ちょんけんな。それで困った事も無いし」


「うんうん」


「あの子ら、珍しいけん地元のメディアに取材されたりな、そしたらちょっと勘違いするよ若いから」


「………うん、まあ、どうなんでしょうね」


「大企業が村に来るのんとは訳が違うしな。狭い町やけん話題にはなるけど、仕事か遊びかよう分からん事っちゅうのは、なかなか理解されにくいと思うわ」








ま、オレみたいな他所者が、『ガキンチョゲストハウス』って言うくらいだから、そりゃ地元の人からすりゃもっと根深い……ってより、恐らくみんなもっと醒めた目で見聞きしてるんだろな(←田舎あるある)。


勿論、最初はそういう子達も『居心地の良さ』ってモンに惹かれて移住を決めた。


決めたはいいけど、どうやって田舎で暮らして行く?


ここに住んで、出来る事なら地域を盛り上げたいけど、収入はどうする?


じゃあ、私達が好きになったこの町に、旅人が立ち寄りやすい宿を立ち上げて、世界中を歩いているバックパッカー達にこの可能性を秘めた町をアピールして行こう!


そしていつかは移住して来る若者も増え、人口流出に悩む問題も解決したら……



みたいな感じかな。



ゲストハウスを利用するバックパッカー達の殆どは、『なるべくお金を落とさずに、色んな地域を旅していたい人達』。

5つ星ホテルに泊まって、地元にジャンジャカ貢献している観光客とは種類が違う。


つい先日、東日本大震災から10年目を迎えた。


例えばの話、バックパッカーが復興の為に現地へ行って祈りを捧げるだけじゃ復興には繋がらない。

地域を興して協力するってのは、地域に還元出来るシステムを作り上げる事を言うんだよな。

寂しがりやな貧乏旅行者を集めて、小さい箱の中で疑似ファミリーごっこを楽しむのとはちょっと違う。


実際、オレの他にこの日泊まっていたのは暗記の天才少年だけだったが、ヤツのドミトリー前には大量の荷物が散乱しており、そこには開封済のパスタや食パンなどが無造作に置いてあった。




とにかく汚いドミ前通路。安宿のヌシになると皆こうなってゆく。




(通路はオマエ専有のゴミ屋敷じゃねーんだよっ!)


と、少しイラついたが、若いバックパッカーなんてそんなもの。

たまに宿で食事をとったりもするが、基本的には金が無いから自炊で過ごす。

又は、『自分はこれだけ節約しながら旅をする』ってのを信条にしている。


こんなんが地域貢献なんかするか?





明らかに宿の備品と思われる台の上もこの有り様。それを放置する宿側も同じ種類という事か。




その昔、オレはタイにあるアユタヤーという街に長期滞在していた。


何でまたそんな所に長い間居たかというと、働きに行ってたアメリカの職場がなかなかビザを工面してくれず、3ヶ月毎に出国しなければならなかった。


「話が違う!」と言っても、そこは外国。

日本の様に、細かい約束事が守られる訳もない。


帰国しても住む家が無いオレは、なるべく生活費の掛からないタイの田舎で時間を潰す事を選択。


タイはバックパッカーに一番人気のある国だが、バンコクは長期滞在するには物価も高く、そもそも都会はオレの最も苦手とする場所。

バンコクから列車で約二時間のアユタヤーで、まだガイドブックにも載っていないタイ人家族が住む一軒家ゲストハウスを見つけ、とりあえずはそこに1ヶ月ほど滞在する事に。


世界遺産がある遺跡の街の割には、滞在10日目くらいまで宿泊者はオレ1人しかおらず、その理由をオーナーに聞いてみると、アユタヤーという街は、バンコクから日帰りで来る観光客ばかりだ、と。


んなアホなと思ったオレは、「じゃあオレが客を引っ張ってくるし、その代わりオレの宿代は無料にしろ」と提案。

本当にそうなるならいいよと快諾。


翌日から手書きのビラを作り、午前中に到着する列車に合わせて駅へ向かう。

最初っから白人系など眼中に無く、『地球の歩き方』を片手に持ったパッカーに「こんちはー」と言うだけ。


ちょいちょい反応が出始めたら、次は看板制作。

近所の市場で安いプラボードとステッカーを買い、宿の前にデカデカと張り付ける。これだけ。





誰かがネットにアップしたその当時の看板。




一週間後、宿は若い日本人バックパッカーで連日満室になり、オレはオレで宿代が無料になってwinwin。
商売なんて、そんなに難しいもんじゃない。
当時は国籍を問わず集客しようとするゲストハウスばっかりだったから、欲を出さずにターゲットを絞れば良かっただけの話で、後は経営する側の対応とセンスが良ければ何とでもなる。





何かこんなんもあったが、何があったのかは忘れたわ。






で、この経験と佐伯のゲストハウスに一体何の関係があるのかってのは、次回説明する。







あ~、何か久しぶりにクリームソーダとか飲みたくなってきたわ。