「無理だ!」と思った瞬間、本当に無理なのか疑う
思考実験です。
いやね、極端な話、
目の前に無数の銃口を突きつけられて、
今まさに引き金をひかれん、
とされている状況なら
「もう無理だ!」と確信できるんですが、
そうでない平和な状況で、
かつ、やってみる前の思考の段階で
「無理だ。やめとこう。」
と片付ける。
そういうことが多いなぁと感じまして。
脳、とりわけ知性というのは、
やってみる前の思考(予想)の段階で、
いろんなことを諦めさせる。
アクションを起こす前に結論を下す。
アクションを起こさせない。
という感じがしております。
実際にアクションを起こしてみると、
あれ?予想と違ったな、ってことが多々ある。
つまり、思考という狭いデータでしか判断していない情報処理では、
実際のアクション、動きのことなんて、ハナから予測できていない、ということ
です。
なので、頭でイメージする運動と、
実際にアクションしている運動は、
実はかなりズレているのではないか、
と思います。
よって、頭でいくらシミュレーションしたところで、
実際にやってみないと何もわからない、
というのが結論です。
…これがまあ厄介で、
なぜこうも脳(知性)というのは「無理だ無理だ」を連呼するのか。
おそらく体の行動を制御するのに、強い「禁止」を与えているからじゃないか、と思います。
でなければ、関節可動域を無視した動作になって、動くことすらままならない。
脳は禁止するのが好きなのかもしれません。
…と仮定するならば、
脳が「無理だ」と判断したとき、
「ほんとにそうか?」
と疑ってみる。
脳が狭いデータで判断して、禁止しようとしているだけなんじゃないか。
そして、
「それ、出来るよ」
と言葉で上書きしてみる。
確信がなくてもいい。
一瞬、情報の合理性がなくなって、頭が空白状態になる。
でも、これでいいと思う。
脳の「無理だ」をマヒさせて、騙す。
え?無理なのに出来る?
え?え?
ってなる。
一瞬の思考停止。
とまどうが、
何か、新しい感覚が生まれる。
矛盾。
なんだけど、どうともつかない。
判断ができない。
意味内容が付け加えられない。
極端な逆説。
例えば、
天才で馬鹿、馬鹿で天才
とか
正義で悪、悪で正義
とか
完全に真逆の意味内容をぶつけ合わせてみる。
すると、判断がつかなくなる。
脳の情報処理なんて、この程度でバグる。
そもそも意味内容に意味はないのだ。
だから、
「無理だ」と思ったら、瞬時に「出来る」と思ってみる。
これを実践した私の脳内では、
以下のように思考が進みました。
無理だ出来る。
無理で出来る。
無理だから出来る。
無理も出来るも一緒。
無理も出来るも無い。
…
…
…
いやぁ、我ながらホント変人ですね。
真似しないでください笑
以上、ぜ〜んぶ私見です。
間に受けないでください。
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