(この記事内容は「庶民の声」より、霊言形式以前の卵である。)

こちらの記事は特定の宗教団体・個人を指すものではありません。

霊指導を受けての記述に置き、霊人ならはでの独創性の霊眼がある為フィクションとさせて頂いております。

 

これまで主に「人の金を貪る」というテーマである〇〇〇、〇〇氏の世界をお伝えしてきましたが、以外と次なる問題である指摘するところの「善良なる女性を汚す」という問題点といいますか罪については、再度触れるに実に苦しいものがあります。

 

「人の金を貪る」という事に置いては、全ての人がその被害に合う可能性があるとする事で言いやすいところがあるのですが、性的な事に関しては、どうしても第三者であるとする面より個人的意見とする認識になり、ただただ不愉快であり第三者が憤りを示すのもある程度のところまでいくと、もはや関係ないとする或いは余りにも恐ろしく汚い話であり、さすがに全く関係ない個人でも、もう目を覆いたくなり忘れたくなるものです。

 

あまり執拗に言ってもかえって面白がっているようにも感じられるとも思われますし、このような悲しい事柄に好奇の目で見るのか?と誤解され思われるのも実に耐えられるものではありません。しかしここで私が度々強姦より恐ろしい事をしたのだとする指摘について詳しくお話したく思います。(場所は〇〇という宗教上の建物であり非課税であり、また例の話になりますが人から貪った悲鳴極まるあの苦しみと涙の金で出来た、氷山のような建物。どでかい教会だか寺だか宮殿だか知りませんが、とにかく聖域内である事。そして、それ以上に家族が・・・愛しき子供達であるところの可愛らしい雛鳥と妻が暮らす場所であるわけです)

 

多くの人達は性的な事に関しては、やはり当事者同士の問題であり、その心模様は分からないとするとお考えでしょう。一般的に双方の同意云々の問題もありますし、通常の概念からしていくら信仰しているからと言って、それは違うと頭からわかる故理解出来ないと思うのです。

 

しかし、私は今から32年ぐらい前に幸福の科学の熱烈な信者さんである女友達がいたわけですけど、その女性の信心ぶりを見るにつけ(勿論彼女は被害者ではありません)もし彼女に何らかの性的強要があったと想定した場合どうだろう?と考えます。

非情に真面目でどんなに身持ちが固いとはいえ、許す事もあるだろう?正確には泣き寝入りするであろうと思われてなりません。その場合、行為に及ばないわけにはいかないであろうと確信致します。

 

その確信には、3つの要素があるわけですが、第一に〇〇氏の教義的絶対的精神からしますと、主の言われる事には逆らってはいけないとする洗脳なるもの。これはどこの宗教にもある傾向だと思われますが。

第二に、自分自身が誓ったであろう絶対的帰依なる心に置いて自分に誤りがあってはならないとする忠誠心の気持ち。まあこれなどは、そんなの普通に判断すれば女性であれば判断はしっかりもてるはずですし、どんな局面があろうと相手が誰であろうと激怒するのが普通ではないか?と思われるかもしれません。

しかし、通常相手を普通に男性と意識していれば反射神経的に判断がつく事も、まさか?と思われる奇想天外な人が相手であり、ある日突然の一瞬の出来事である状況に関しては判断も何も目がぐるぐる回って、あれやこれやと想起するにも限界があると思います。

最後の第三目は、女性ならばある程度分かると思われますが、断れないとする心持。

断ったら何をされるか分からないとか、馬鹿げたお人よしかもしれませんが、断れないような言いにくいような何とも言えない状況。(恐怖と内気)実にこの三番目の心持が大きいとも思えます。(おおよそ宗教に依存する方は一般的に内気な女性が多いと思うのですけど)

 

普通の男性にも断るに断れない状況や心持というものがあるのに、ましてやある意味ご主人以上に主人であるかの如くの相手には、断ろうにも断るすべがないとする状況に追い込まれるであろうと思うのです。私は、もし私がこのような弱い女性の身の上ならどうだろう?と想像するとき、やはりどうにもならない状況に置かれるという事だけは分かります。

私ですらそうなのですから、多分に大抵の女性がそうではないか?と思うんですね。

まあ、極端に年齢が離れていれば、変なおじさんと見えて断れる事や年齢差が極端であればこそ言える事もあるかもしれません。しかし、先にあげた女友達などは、多分にどんなに年齢が離れていようと断れなかったであろうなと思われるし、やはりおじけついて尻餅をついて難を逃れるより他は(ごく少数を除いては)何ともならない状況もあるであろうと想像致します。

若いボーイフレンドに、ちょっとやめてよと言うのとは訳が違う。

 

そう考えると、〇〇氏の性の犠牲になった女性が可哀想で可哀想でどうしようもありません。

皆さん、あの〇〇ァミリーが住んでいる御殿・・・御殿と言わずとも家庭の中で、家族の一員のように子供達を聖母マリアのように愛し、時に病気の時はナイチンゲールのように献身的になり添い寝をした清きベビーシッタの女性に、それが起こったのです。

しかも、その恐ろしき地獄の部屋に案内したのは(当時)奥様である夫人なのです。

その風景を元夫人も明らかにしておりましたが、そこには元夫人の内面の懺悔のような悲しみも私には感じられました。(その告白も辛かったと思うし、罪悪感もとてつもなく強かったでしょう)一方、その被害者たる女性にしてみれば、突然の出来事であり何とも言いようのない全体の強制力に対し、(否とする)言葉に現すに不可能であるような状況であったと思われます。

 

その女性はその後精神的な病気にもなられたとの事ですが、その状況の中には想像を絶する葛藤や苦しみがあったでしょう。実に、強姦ならば抵抗も出来よう。いざとなったら死ぬ事も出来るかもしれない。

しかし、このような絶対的服従をせねばならないとする事は死ぬ事も許されないであろう。

ですから、この行為の強要は強姦以上に恐ろしきものを持つものであると思うのです。

信じがたい話かもしれませんが、このように強姦よりもどんな暴力よりも恐ろしいものがあるのです。またそのような悪夢から覚めてみますと、不倫であるとする何とも地獄的な責め苦も出てまいります。(まだ好きな人ならいいんですけどね)

 

その苦悩を思うとまさに、断末魔の叫びの苦しみいいえ発狂状態、阿鼻叫喚の苦しみを遥かに凌ぐほどのものでありましょう。(何故か字が勝手によじれてしまって、治せません。文字すら耐えられず苦しんでいるかのようです)阿鼻叫喚であれば、泣き叫び助け求められるだけまだマシですけど、それすら出来るわけがないとする現実もあるわけです。

 

実は今日の記事では、元妻であるきょう子夫人の悪魔祈祷の内容をあげ、皆様に〇〇氏と元夫人のどちらが悪魔か判定してもらいましょう、とする内容を書こうと思っておりまいして、最後にその文面を残しております。しかし、犠牲になった女性の心中を思ういきさつとなり、それはこの紙面で言うべきでないと思われてきました。

 

しかし、私がこの紙面で言おうと思っていた人間の理性が訴えるところの啓示を明らかにしたいので、最後に大変恐縮ながら追記致します。(まだ字が治りません。最後までこの悲しみのよじれがつきまとうのでしょうか?)

 

追記;このような悪魔の餌食展開があったにも関わらず、元夫人に、悪魔認定をして、更に教団内に置いて悪魔祈願のようなものをし、とんでもない霊言を発信したそうです。

--------------☆彡☆彡

 

元夫人が切迫流産で入院している時に、〇〇氏は平気で妻を崖からつき落とすような事も言っていたんですね。

霊言に置いては子供達まで巻き込んだのですね。

このような事がまかり通っている「霊言」という武器は、何と恐ろしいものなのでしょう。

聖母マリアのように優しくナイチンゲールのように献身的な女性を汚した事も含めて、

更に、聖域内でもある大悟館(大きな教会&神社の建物のような・・・非課税の宗教上の建物ね)にて。

再び、99%強の庶民の女性の皆様、お心の中のボタンに触れて下さい。

どうか白いボタンと黒いボタンがあると想像して下さい。

確かに案内をしたきょう子夫人は問題があったでしょう。

しかし〇〇氏の恐ろしさと比較してみて、どちらが悪魔か?

 

元夫人だと思わる方は白いボタンを、〇〇氏だと思われる方は黒いボタンを押して下さい。どちらかと言うとで構いません。1、2の3、はい!99%強が黒いボタンであるところの隆法氏ですね!

その黒いボタンから、声が致します。最低!くず、許されない!それは犯罪だ!

悲しい!そうです、これが啓示であり理性に照らして火の如くいいえ松明の如く燃え上がる炎を見るより明かな事実であり、それは理性の摂理の反動の現象なる神の声であり、啓示であります。

 

ここに皆様が内面より聞くであろう啓示を明記致します。

 

〇〇よ、聞こえるか?歴代に残るモーゼの十戒はもはや廃れた。

しかし汝は新しい戒律を作ったものだな。

私の声が聞こえるか?

汝はその背徳より汝の思想であるところの恥部をさらした。

その恥部たる悪の戒律、女を汚すなかれとする烙印を汝の額である魂に焼き付けようぞ。

敗北の烙印を受けよ!神の(人の)掟を破りし愚か者ここにありけり!

永遠に汝の柔らかな魂の記憶の肌にこれを刻印す。

神の称号否人の称号すら地に落ち砕けよ。汝悪魔なり。

 

 

庶民の声より

 

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