これまでの万人が持つ宗教のイメージと言いま
すのは、宗教は少なくとも金儲け主義ではないも
のだった。
しかし近現代に置いては、宗教が商業化してい
る。これまでは例え信者であるないにしろ、宗教と
いうものを行う人達が、永遠の月日を必要とする
ところに置いて、歴史上の流れから万人は、その
道を歩む人達の俗世間にはない修行や貧しさに
置いて、過酷なものであるという印象を持ち、聖
職者なるものは金銭問題とは無縁であると本能
的に見ていたと思われるし、宗教に置けるお布施
等は大事であろと思われていたと思う。
しかし現代では、思想が変わり、良きものとする以
上の極端な悪い傾向であるところの強欲なる金
銭欲や、それに並行して独裁者的な面が出てき
ているように思える。この現象を作ったのは、まぎ
れもなく湯水のごとく溢れる泉のお布施であるとい
う面も疑われる。
更に新興宗教に置いては、支配欲が過剰なの
か?それとも絶対精神という神の名に置いてのも
のなのかは分からないが、何とも恐ろしいものを感
ぜずにはいられない事も出てきたように思える。
未来宗教を憂うとする問題に置いて、大きなお金
を得るとする宗教の経緯は、今後それに倣う人間
も出てくるであろうと思われる。
果てしない欲望であるところのものを満たすには、
それこそ独裁者的で時に人を恐怖に陥れないと、
神の威厳であるとするものは、今後未来も続くで
あろうと思われる。
商業化したとする事に置いては、これはまた新しい
時代であり良いのだけど、それならばそれで、現
代では昔と違い、ネットで自由に物事を進める事
が可能な時代となり(高額な資金は必要ない時
代)昔のように何世紀もかかっての活動ではなく、
便利な時代になったので、ここらで、その新しい時
代の中での宗教に置ける改革も必要ではないか
と思われる。
これまでは信仰の自由とう自由国家に置いて或
いは法律によって、宗教が甘く守られていたのだけ
れど、今後の未来宗教を憂うとする認識に置いて
は、もはやこれまでの通りではなく、良い意味で
もっと違った活躍があってもいいと思われる。
未来宗教を憂うとする今後の問題は、湯水のご
とく溢れる泉のお布施がある限り、宗教は変貌し
危険思想となる可能性があると思われる事だ。
私達は、変貌危険思想や危険思想そのものか
ら、簡単に地球破壊も出来るという事を、近年知
るに至った。
もはや、これは信仰の自由とする宗教団体の問
題ではなく、分別ある万人による善なる目で抑制
しなければならない。
現在の法律では、悪しき事柄に置いても信仰の
自由であるとする法律等で、守られてしまっている
状況が伺え、それが良からぬ状況を活かしている
ように思えてならない。
これには、分別ある万人による善なる目であると
ころの、思想と法が必要となる。
未来宗教を憂う・・・今、私達、この時代は変わ
らねばならない時に来ていると思われる。
それを可能とするには、まず変貌危険思想である
事や根っからの危険思想であるとするものの証明
が必要だと思われる。
どういったところが、変貌危険思想であるのか或い
は危険思想なのか、善良なる分別ある万人の目
より危険思想であるのか、それを現象の事例で
もって証明する必要がある。
そういったものが、何らかの形で改善策として出る
であろうし、その流れい置いて、今の時代に合った
法律や法律改正も出てくる事であろうと思われ
る。
また、その法律改正或いは法律改正に匹敵する
思想に置いて、犯罪性が認められる場合は、そ
れは生き神に限らず、職員、信者にまで責任を
問うとする可能性もあると思う。
時に宗教団体以外の者にも責任が問われる事
もあると予想する。
現在の法律で十分出来るようにも思えますが、あ
くまでも危険思想に対する警戒の強化という意味
での新しい改革が必要だ。
その流れに置いて、法律改正もあると思う。
また宗教犯罪に置いての懲罰に置いては、個人
的にはかなり重い罰が必要だと思う。
金で解決するのではな、実刑にて、その罪が深
いと、善なる万人の分別の目が厳しいならば、か
なり、それは見るに見かねる事であろうし、長い期
間の実刑を覚悟しなければならない事もあるかも
しれない。
今後は、お布施返還も可能となると思う。(変貌
危険思想、危険思想としての判断にあった場合)
勿論、個人であれ組織であれ金隠しも出てくるで
あろう。
このお布施返還というのは、必ずしも騙された或
いは脅迫されたとする信者を守るものではない。
あくまでも、けじめとして危険思想を防ぐ為の方
法。
これまでは、お布施返還を信者さんが求めても法
律的に無理があり泣き寝入りする事が多かった
が、今後は少し逆パターンである主催者側が不
利だとする傾向が出てもいいと私は思う。
勿論、それ相応の変貌・危険思想であるとする
経緯のある団体に対してである。(まあ、理想の
状況を見ながらでのお話ですので、先々はまた変
わる事もあるでしょう)
この流れに置いて、宗教団体側は、信者さんにお
布施返還したくない為に、金隠しをする状況も出
てくるかもしれない。
しかし、この問題は双方に問題があったとはいえ、
人の心を欺くという最も悲しく残念な事であった場
合、通常の企業に対するような見方ではすまされ
ないと思う。
厳しい善なる万人の分別ある心が裁くであろう。
お布施返還に置けるところの可能とした思想とし
ては、変貌危険思想或いは危険思想があり、過
剰な金銭を組織内であぶく銭の如く使い得た経
緯が認められる場合、高額な給料や裏金を貰っ
ている職員や、それに携わる人々にも厳しい償い
が求められるのではないか?先に、お金で罪を償
うのではなく実刑でとお話しましたが、危険思想が
複眼的に証明された場合、そのお布施返還に、
その得た個人のお金を当てるべきとする考えはあ
るべきではないか?その場合、お金を隠した場合
或いは払わなければならない返さなければならな
いお金を払わない場合、やはり実刑が伸びるとい
うのはどうだろうか?(あくまでも、変貌・危険思想
がなりたっているところに置いての話で、実際は、
その内部の人や信者でなければ、分らない話で
はある)
変貌・危険思想として、また初めからの危険思想
であると証明された事例に対しては、当然、複雑
な教え云々ではなく、あくまでも善なる万人の分
別ある心の目でもって、その問題あるとする者達
の行動の現象をみなくてはならない。
教えや思想ではなく、あくまでも常識ある行動で
あるのか?社会では内部的な教学等の言い訳
など通用しないという事。
そしてその分別ある万人の心によって、少なくとも
人としての在り方を知る事もあるのではないか?
多分に改善する為には破壊が必要となる事もあ
ろうが、あくまでも雨降って地固まるという成り行き
にもなる事も予想され、必ずしも宗教を行う側が
不利とは限らない。
ごあいさつのつもりが、何かとこみいったお話になっ
てしまいました。
しかし、もしも問題があると問われる宗教団体が
あるならば、このような厳しい流れが未来宗教を
憂うとするテーマに置いて、特に未来の新興宗教
に置ける問題点の危険を防ぐ事が出来よう。
今後、シュミレーションで沢山のお話をしてゆきた
いと思いますので、是非、皆さんお付き合い下さ
い。そして善なる分別ある万人の心が1つになる
べく、良き方向に未来を運べることを期待しており
ます。
今後、宗教裁判も起こるかもしれませんが、法律
改正や法律改正に匹敵する思想の上での審判
的な答えに置いて、陪審員は国民全員という事
で頑張ってゆきたいです。
もはや、危険思想に置いては、つける薬はないか
もしれないので、どうか今後必要な法律改正が
行われるよう願うばかりです。
※上の文は特定の宗教団体を言っているのでは
ありません。あくまでも未来宗教を憂うとする現代
的な見方で感じた事であり、事実とは関係ありま
せん。