いまだに義母の負の遺産を目にする度、
いたたまれなくなり、
あきらかにPTSDだなぁと思う思いに囚われてしまう。
義母が腕の手術で入院した時には、
いろいろ忙しい中、精一杯、いろいろしてあげた(当時は、そんなおしつけがましい思いもなかったけれど。今思えば、「してやったのに!」と、その後の「仕打ち」を思う…)のに、
憎い嫁にぶつけるならまだましだったが、
あいかわらず私の実母にぶつけて、
あろうことか、
私と娘が風俗で働いている!
どんな育て方をしたんだ!、
と実母を恫喝。
実母から聞いた私が、
そういうことを言ったのは本当ですか?!、
と聞いたら、
もう2度と行かへんか!、
と恫喝した義母…。
今、思い出しても、怖かった。
目の色が変わると言うけれど、
常人の目ではなかった。
当時、診ていただいた神経内科のM先生は、
認知症ではなく、精神病で、妄想があると言われ、
うちの病院では診られないからと、
精神病院へ紹介状を書くと言われた。
その後の経緯は、このブログの冒頭からに書いてきた。
その後、施設入所前に、施設からの指示でオサムが義母を連れて行った精神科、心療内科のM先生は、
精神病ではないが、もともと境界性人格障害で、
空想虚言症だと言われた。
そして、身近な人に攻撃性をあらわすと。
どちらかと言えば、親切に世話をしてくれる人にキバをむくと。
義姉子子の結婚式に、自分の怪我からの手術で、参加できなくなった義母。
義姉子や義姉子子は、入院中に見舞いどころか何も言ってこない。
退院後も、何もない。
お正月も過ぎたのに、何もない。
で、私の実母にまず、キバを向いた。
そして、私にも。
そんなことが許されるはずがない。
それでも、
ばあちゃんに世話になったやろ!、
と言う義姉子。
義姉子子も、自分の脳内お花畑が招いたのに、
それを理解していない。
精神病や認知症の高齢者の攻撃は、
身近なひとに向かいがちで、
お世話するひとはさらに疲弊する。
私は、妄言事件から、第一線からは離れることができたけれど、
オサムがもっとバカな人間だったら、自宅を離れて逃げるか、我慢して世話をしなければならなかっただろう。
それでも、施設の持ってきて!対応の準備は私だった。それらは、オサムや義姉子の仕事だろう?!
カーネーションの花はかわいいけれど、
義母がチラついて、いたたまれない…。
私は、心の中で何度も義母を、コ○シ続けている。でも、いなくならない。
消えてしまえ!!