第一子の出産時、私はかなり大変で、棺桶に片足どころか半身突っ込んでました…。
みなさまの倍入院して、退院直後は、お尻の肉も全くないアフリカ難民を彷彿とさせる姿でした。
死にかけたおかげで、いろいろ価値観が変わり、その辺りから、
ボランティアにも精を出し、
義母にも親切にしてしまう〜という間違いをおかしてしまいました。
身体にも気をつけ、第二子出産時はようやく人並みに。
その時、同室だったあるお母さんが、もう肝っ玉かあさんという方で、やはり第二子の出産でしたが、
授乳時間も、
帰ったら、ゆっくりはできないから!
とお昼寝〜。
自宅では、旦那さんのお母さんつまり姑との同居だとか。
さもありなん。実家にも帰れないから、退院したら、忙しいのは確定。
私はしばらく実家でゆっくり予定でした。
義母は、孫娘を独り占めできて、ホクホク。
しばらく帰ってこんでいいゎ状態でした。
上記の方、Bさんとしておきますが、
Bさんのお姉さんは生まれた時から障がいがあり、当時は施設に入所されていました。
Bさんは、お姉さんの世話をするために生まれたとあっけらかんと話していました。
旦那さんは、お姉さんのことも了解して、結婚されたとのこと。
盆、正月には、お姉さんは実家ではなく、Bさんの自宅へ帰省される。
姑さんは、それに対して文句ブーブーだそう。
私だったら、それ以前の段階で、義母が大反対したやろな〜と確信。
家族に障がい者のいる女なんか、嫁に要らんだったでしょう。
第一子の時も、第二子の時も、
妊娠中の嫁(私)に向かって、
障がい児が生まれたら、嫁のせい。
うちの親戚には障がい者はいない!、
と言い放った義母。
そもそもあんたが障がい者や!と、
今だったら言ってやれる。
生まれた時は大丈夫にみえても、あとで出てきたり、事故や病気で身体が不自由になることはあり得る。
自分だけは大丈夫だなんて、何の保証もない。
驕り高ぶりもはなはだしいヤカラ。
私のボランティア活動にも良い顔をせず、
民生委員の委嘱話を持ってきた自治会長さんにも、
うちの嫁さんは使わないで!、
でした。
義母は、自分たちのために嫁を使役してはばからないヤカラでした。
実家を考えてみても、やはり、長子は、下の兄弟姉妹の面倒をみて、親を支える役割…。
あっちでも、こっちでも、貧乏クジ???
実家は、長男が何とかしていくと思ってましたが、上手くいかないもので、
末子は末子でそういう意識はないし、
使えるのは長子である私だったという…。
大事にされた子らが、役立たず。
そんなものなんですね、世の中。
↑下の子の掛け布団が悪くなったため、購入。
古いワタの布団の処分が難題です。