精神疾患の治療のアプローチを2つに大別すると、

・心理的アプローチ

・生理的アプローチ

の2つが挙げられる

 

心理的アプローチには、たとえばカウンセリングだったり、認知行動療法(CBT)をはじめとする心理療法とか、瞑想・マインドフルネスとか、あるいは催眠やら精神分析などがある

生理的アプローチには、医師ができる投薬、栄養療法(サプリもここに含まれる)、睡眠、運動、依存断ち(インターネット、SNS、スマホ、ゲーム、ギャンブル、アルコール、喫煙、ポルノなどなど)、呼吸法などが挙げられる

 

心理的アプローチ→心・心理・認知に働きかける

生理的アプローチ→脳神経・身体・生理的な面にはたらきかける

 

しばしばインターネットのメンタルヘルス文脈では、心理的アプローチを重視する傾向が強い

私も1回目の抑うつエピソードでそう思っていたし、今回のエピソードでもそうだと思っていた

しかし、藤川理論を勉強したり、依存症のメカニズムをもう一度はじめから勉強しなおして、生理的アプローチを中心に回復を試みたところ、前回のエピソードよりも明らかに回復が早いのだ!(プラセボもあるだろうけど)

 

考えてみれば当たり前なのだが、精神疾患に陥ってしまう人は、生理的アプローチに自分でも気づいていない(or 気づいているけどやめられない)、深刻な欠陥があるのではないだろうか?

自分の場合は、完全に脳がインターネット検索依存症・ネットポルノ依存症・SNS依存症になってしまって脳を酷使し続けて、仕事も含めると1日の15時間近く画面を見続けていた、加えて慢性的な運動不足、そして栄養も糖質多めになってしまっていた

 

生理的アプローチを試みることで、心理的アプローチを試さなくても精神は安定するのかもしれない

藤川徳美氏の言葉を借りるなら、「脳に栄養が行っていないのにCBTをやってもムダ」なのである

 

また、森田療法やACT(アクセプタンス&コミットメント・セラピー)はとても良く似ており、マインドフルネスの有無くらいしか違いがない

どちらも「そもそも、不安を消すことはできない」という点で一致しており、「不安があっても、私は○○という行動をするから、不安はあってもいい」と、心理面より行動を重視する

禅僧の修行でも、規則正しい生活と粗食、老子との問答でも修行僧の内面の苦悶や煩悶、悩みや葛藤は不問にされる

森田療法の創始者、森田正馬の入院療法での日記指導でも、同じように内面の苦しみはしばしば不問とされた、「健康人のふりをしていれば健康になる」のだと

禅宗も森田氏も、生理的アプローチを十全にしていれば、心理というのは勝手に整っていくことが数百年の蓄積から分かっていたのではないだろうか?

 

心理的アプローチをいくら試したところで、生理的アプローチで大きな欠陥があれば、すべての効果を台無しにしてしまうどころか、マイナスに振り切ってしまう

依存症によるドーパミン受容体の消失や運動不足による廃用性萎縮は、心理的アプローチでは解決しない

 

寝たきりで体力が落ちているのに、カウンセリングでよくなるはずがないではないか!

 

ということで、生理的アプローチをやっていけば、精神は勝手に安定していくのでは?という話でした

 

追記:心理的アプローチは、各療法の専門家なら素晴らしい成果を上げられる一方、それらの専門家は心を病む人の数に対して少なすぎる、という問題もある。認知行動療法の専門家ですら、私の住んでいる某田舎県では保険診療で受診することは、県庁所在地の大学病院ですら不可能だ。いわんや、それ以外の森田療法やら、催眠療法やら家族療法やらその他いろいろはもっと望みが薄い。その上、精神療法もカウンセリングもコストが高いという問題がある。泉谷閑示氏のセッションは広尾にクリニックがあるという点では場所代の割には安いが、それでも1回2万円以上であり、休職中や無職の人間にはとてもではないが難しい。お金と時間に余裕がないと、(特に対人の)心理的アプローチは長続きしない。それよりもプロテインを買うとか、依存を絶つとか、適度に運動をするとかの方が、よっぽど安価に効果を得られる。また、心理的アプローチは、治療者に依存する側面があるので、永続的な治療でない場合、その人が亡くなってしまった時にダメージを受ける。生理的アプローチも、栄養療法はその栄養が摂取できなくなった時にダメージを受けるが、その他の運動や依存断ちや規則正しい生活は、自分の心身がコントロールできれば、たとえ獄中でも入院中でもできる。