今日は精神療法の話

現代のうつの原因の一つには不安があると先日書いた

また、病前性格によってうつになりやすい人とそうでない人がいる


モチベーションの源が、自分の場合「自分に厳しく」であるというのも一因であるとしみじみ思う


子供の頃から、自分を動かすエンジンの燃料が自己への叱咤激励だった

たとえば定期テストの勉強も綿密にスケジュールを立てて、それを守れないと自分を責めたものだった


こうして、「頭」による「心」のコントロールは強くなっていく

うまくいかないと自責は止まないのに、たとえうまくいってもそれを素直に受け止められず、「たまたま運がよかっただけ」とか「もっと頑張らないと」と、他者からの称賛すらさらなる成長への促進剤にしようとする

だから「自分で自分を褒める」という発想にそもそも至らない、かくしていつの間にか無限の螺旋階段の中に取り込められているのだ


こんなことを何十年も続けていたら、人生とは永遠に自分からの自己批判に曝され続ける苦難の道のりでしかなくなる

他者からの称賛などなくても良いが、自分自身からの絶え間ない叱責は確実に精神を追い詰めていく

自分に一番厳しい人格が、自分と不可分の存在なのだ、心を病むのは必然だろう



そしてある日突然、自分でも説明のしようのないしにたい気持ちが沸き起こってきて、うつになるのだ

そのきっかけは周りの人間からしたら「え? こんなことで?」となってしまうが、そこに至るまでにお膳立ては調っているのだ

あとは後ろからちょん、と押してやれば、うつの底へと真っ逆さまだ



つまるところ、「モチベーションの源が自分自身への叱責」というのが誤りなのだ

それが通用するのは中高生まで、健全な人間はだいたい社会に出る頃までに「あ、このやり方はダメなんだ」と気づいて修正できる


ところが、私たちのようなうつになる病前性格の持ち主たちは、このやり方でそこそこうまくやれてしまう、ただいつかはこうして破綻を迎え、うつに陥ってしまう


うつは「心」からの非常ブレーキ、「このやり方ではあなた本当の病気でしにますよ」という最終通告なのだ

ヒトの「心」は伝えたいことを伝えるために精神疾患、それでも言うことを聞かないと心筋梗塞やガンのような本当の身体疾患になってまでも伝えたいことを伝えようとするのだ


そういう意味で、精神疾患は取り除くべき対象ではなく、「この症状は私にいったい何を伝えようとしているのか?」という観点が必要なのだ

さもないと、たとえ薬で症状を寛解させても、精神疾患は何度でもやってくる

それは当人が受け取るべきメッセージを受け取ってくれないからだ

まるで再配達のように、あきらめて受け取ってくれるまで何度もそれはやってくるのだ