21年
そういえば、私の父ちゃんは、1級建築士だったのだけど。
それが結構な資格だと知ったのはだいぶ大人になってからなんだけど。
すごい資格を持ってるっちゅうことは、
大成功する可能性も大失敗する可能性も、平凡な人よりは多いんかなぁ、と思ったり。
「アレ、うちの父ちゃん作ってん」と言えるだけの仕事したのに、
会社倒産してあっぷあっぷなって、それが落ち着いたと思ったらあっさり死んじまったらしい。
いわゆるクモ膜下だったんだけど、
出張先の東京で倒れて、滋賀から駆けつけた母ちゃんがなんとか間に合ったってぐらいあっという間で。
もし運び込まれた病院が、脳外科の専門だったら助かったかもしれないらしくて。
でも今から動かしたらそれで死ぬからどうにもできないって言われたらしくて。母ちゃん。
しょうがないっちゃぁしょうがないことなんだけど、
しょうがないで死んだらかなわんなぁ。
病院が小さかったから「後遺症が残った」と「死んだ」では全然違うもんなぁ。
で、「しょうがなかったんや」と大人達が言ってるのを聞いて、
「そうか。しょうがなかったんか。」と鵜呑みにした私はバカな子供だったわけで。
しょうがないで済ませられるか!と怒鳴るような大人がその場にいれば、
今の私の性格はちょっと違ったものになったんじゃないかと思ったり。
私その時9才。って結構大きいのに父ちゃんのことほとんど覚えてなくて。
母ちゃんが言うには、出張とか残業で私と顔合わす時間にはあんまり家にいなかったそうで。
それ聞いて、なんだ、過労死か。と思ったわけで。
ちょっと覚えてるのは、
お土産の寿司つまみながら♪サバダバサバダバ~っていうテレビ見てる姿と、
日曜日に家の掃除して山盛りのそうめん作ってる姿と、
兄姉が怒られてるのを見て「私もおしり叩いてみて」(好奇心で)と私に言われて、きっと軽く叩いたのに大泣きされてあたふたしてる姿と、
あと、夜中に母ちゃんにせまって断られてるのを見た。(笑)
考えてみると、結構いいお父さんだったのかもしれないなぁ。
ものすごいかわいがってた末っ子に「だったのかもしれないなぁ」と言われてることが
無念の極地なんだろうとわかっていても「だったのかもしれないなぁ」としか思えない無念。
思えばたったの9年しか一緒にいられなかったんやなぁ。
普通の人は50年ぐらいおれるのに。
ふぅ。
「死ぬ」ってかなんなぁ。
ま、しょうがないか。