たくさん悲しんで貰いたいというエゴ
私の父親は
私が9才のとき突然クモ膜下出血で死んだ。
元気だった。
次会ったら死んでた。
父親のことはほとんど覚えていない。
多分好きだったけど。
死んだとき、
あまりショックは受けず、
「あぁそうなんだ」
と受け入れたことは覚えている。
私、そこらへんの情緒が欠落してるなぁと感じる時は今もたまにある。
私は
母親を見て育ってきた。
夫に先立たれて生きていく女を。
ジメジメせずに明るく強い。
でも、
夜中泣いてるの、見たことある。
そういうことなんだ。
人が死ぬとはそういうことなんだ。
そう思う。
だけど
私はそっちの側面からしか生死を考えられない偏った人間だ
ということを忘れない様にしようと思う。
なにをするでもなく、ただ、忘れない様にしようと思う。
「なぜ自殺をしてはいけないか」
を
「なぜ殺人をしてはいけないか」
と重ならない理由で論じてください。(宗教的なものは除く)
というネットでの議論をみたことがある。
難しいね。
わたしには答えられない。
周りが悲しむからどっちもやめてください、としか言えない。
死ぬことは周りを悲しませるのに
どうして人は生きるのかねぇ。
生きれば生きるほど悲しむ人を増やすだけなのにねぇ。
矛盾だねぇ。
生きたいのか、死にたくないだけなのかもよくわからんまま
生き続けている私のような人間は、
他者との関係の中にしか、生きる理由を見つけられない。
生きたいと強く願っている人に申し訳ない。
生死について考えた。
考えがまとまるわけもなく。