7月になりました。

1学期もあと少し、新しい学年、新しい学校など新しい環境が始まり、4ヶ月余り。

小中学生の皆さん、夏休みが待ち遠しいですね。


さて、新しい人間関係や生活リズムなどに慣れてきましたか?

苦しい時期もあったかもしれません。学校に行けなくなったり、教室に入れなくなったりした人もいるかもしれません。

そうなっている人は、ひょっとしたら、「自分はダメなやつだ」とか、「学校に行けない自分誰も認めてくれない」と辛い思っているかもしれません。また、「親に心配をかけて情けない」と思っているかもしれません。


そう、学校に行けなくなったり、教室に入れなくなったりするとみんなそう思います。

私も小5の終わりから中学2年まで学校に行けない時期がたくさんありました。

皆さんの参考になるかどうかわかりませんが、少し話をします。


私が小5の時、両親が離婚して、県外に引っ越しました。通っていた学校の友達には「さよなら」も言えませんでした。

何時間も汽車に乗って着いたところは、芋畑に囲まれた何もない町で、小さくて、古くてボロいアパートに小1の妹と母の3人での暮らしが始まりました。小5のころは数ヶ月、6年になるまで、ほとんど家で過ごしました。

そして、6年生になって初めて転校先の学校に行きました。


衝撃を受けたのは、先生が授業をしているのに、立ち歩いたり、漫画を読んだり、紙飛行機を飛ばして笑っています。

音楽室では教室の後ろで数人が髪で作ったボールをプラスチックバットで打って遊んでいます。

ほんの1週間くらいで、男子女子に限らず、心身ともにボコボコにやられました。

転校生がほとんどこない地区らしく、珍しかったのか、女子がコソコソ言ったり、聞こえよがしに悪口を言ったりしています。

男子はすぐ喧嘩を仕掛けてきます。上靴の爪先に内側から画鋲を刺すと針だけが上靴に外に出ます。

それで、すねなどを何度も蹴ってきます。文句を言い返すと、ケンカが始まります。

関係ない人も加わって殴られたり,踏まれたりしました。こんな日が毎日のように続きます。

先生に話をするなんて、当時は考えられませんでした。

多分、先生に言い付けても、先生よりも男子の方が強いし、しかることもできません。

「やられたらやり返せ」「負けるな強くなれ」などとできもしないことを言われるだけだと思います。


体育で整列している時、後ろから後頭部を殴られました。

流石に頭にきて、ヘッドロックをしてねじ伏せました。先生が飛んできて割って入り、ひどく叱られました。

なんで自分が怒られないといけないのか。ものすごく不満でした。

その日から、学校に行こうとすると足が止まり、畑を一周して、家の裏で時間を潰し、母が仕事に行ってから家で過ごすということを続けました。アパートの広場で妹とボールで遊んでいた時、2人の女子が自転車で通りすぎながら「サボリ!」「サボリ!」「登校拒否!」「登校拒否!」と言って走り去っていきました。

もう、こんなところに住みたくない。長崎に帰りたいと思いました。


中学に入っても結局、メンバーは一緒なので、すぐにいけなくなりました。ただ、その時の担任の先生がいい先生で少し登校できるようになりましたが、結局無理でした。

あまりにやられすぎて、心はとっくにボロボロになり、母と妹を守らなければ。という義務感だけで生きていました。

それは、私たち家族を探している人がいたからです。詳しく聞いてないのでわかりませんが、今思うと、借金取りか何かだと思います。

息を殺してひっそりと生活する日がずっと続きました。名前を聞かれても本当の名前を言わないこと。後をつけられてると思ったら家に帰ってこないこと。と言われていました。

今振り返れば、とんでもなく辛い小中学校生活でした。


中2になって少し学校に行ったり行かなかったりしていた頃、何が気に入らなかったのか、一人と口論になり、「昼休みに3回の男子トイレに来い!」と呼び出されました。

その時間に行くと、トイレの入り口に3人ほどの男子がニヤニヤしながらこっちを見ています。

トイレに入るとガツンといきなり殴られたので、前も見ずにおもいっきり殴り返しました。

そうしたら、偶然あたったようで、相手が倒れ、便器で頭を打ったのか血がたくさん出ています。

その後は、先生たちに別室に押し込まれ、母親が呼ばれ、相手の家に謝りに行きました。

相手のお父さんに警察に突き出すぞ!と頭を下げている母親に怒鳴っていて、本当に母親に申し訳ないと思いました。


その事件があって、周りの反応が変わりました。

それから一目置かれるようになった。というなら格好がいいですが、実は逆で、3年生グループがお前が調子に乗っていると言っている。

狙われているぞ。と同級生が教えてくれました。

しかし、この件があって心の中で何かがパチンと弾けたような感じがしました。

それまでやられすぎて、逆に開き直ったような気持ちだったのかもしれません。


私を見て、廊下の端から3年生のグループがこっちを見ている場面を何度か見ましたが、幸い何かされることはありませんでした。

そのあと、担任の先生から、「あと○日休めば3年生にはなれない」と言われました。

とりあえず朝、チラッと学校に行き、すぐに帰ってきました。

なんとか、3年生に離れましたが、全く勉強などしたこともなく、そんな暇もありませんでした。


初めて詳しくお話ししましたが、こんな少年時代でした。

親戚付き合いもない、ひっそりと隠れて暮らす。そんな生活がずっと抜けませんでした。

なんで先生になれたの?とずっと読んでくださっている方は思われるかもしれません。

なんでか、なれたのです。先生になってやっと長崎に帰ってこれました。


「いじめ」「暴力」「家庭環境」「先生の体罰」などなど、私が不登校になった要因はたくさんありました。

とても悲しく、情けなく、無力な自分を恨み、家庭環境を憂いだこともありました。

死にたいと思ったことも何百回もありました。


今,学校や教室に行けないで辛い思いをしている皆さん。

大丈夫です。大切な「命」とあなたにある「可能性」と、だれもか持つことが許される「希望」があれば、しっかり生きていけます。

子供の頃から泣き虫でガリガリで弱弱な私でもこれまで生きてこれたのだから、大丈夫です。


世の中の物差しは一つではありません。

今はダメだと思っていたとしても、よーく、自分を見てみてください。家族に自分のいいところを聞いてみてください。

いいところはたくさんあります。それを大切にして、失わないようにしてください。

私でよければいつでも味方になります。


子どもからのいじめの相談は無料です。

秘密は守るし、他の人に行ったりしないので安心してメールなどで連絡してください。