いじめ防止対策推進法には、なかなか見えにくいですが、家庭についても規定されています。

(保護者の責務等)
第九条 
1  保護者は、子の教育について第一義的責任を有するものであって、その保護する児童等がいじめを行うことのないよう、当該児童等に対し、規範意識を養うための指導その他の必要な指導を行うよう努めるものとする。
2 保護者は、その保護する児童等がいじめを受けた場合には、適切に当該児童等をいじめから保護するものとする。
3 保護者は、国、地方公共団体、学校の設置者及びその設置する学校が講ずるいじめの防止等のための措置に協力するよう努めるものとする。
4 第一項の規定は、家庭教育の自主性が尊重されるべきことに変更を加えるものと解してはならず、また、前三項の規定は、いじめの防止等に関する学校の設置者及びその設置する学校の責任を軽減するものと解してはならない。

教育基本法でも、子どもの第一義的責任は「保護者」としています。
民法でも14歳に満たない子どもに対する損害賠償はその保護者が負う。とし、高校生などで賠償能力がない場合は代わって保護者が支払うという最高裁の判例があります。

これだけ、民法や教育基本法という国の根幹に関わる大きな法律で規定されていることを、子を育む保護者は知っているのか?
私は不思議に思います。
この法的根拠がある限り、「いじめられた方も悪いんじゃないか」「いじめに負けない。克服しよう」「いじめに負けない強い心を作ろう」などという詭弁は全く通用しません。
「無差別殺人や通り魔に負けないように強い心と体を作ろう!」と言っているのと同じです。

我が子がいじめに被害にあうこともあるかもしれませんが、同時にいじめをおこなってしまう存在にもなり得ます。
親にこの認識があれば、我が子がいじめをしたと学校から聞いた場合は、相手の保護者と子どもに頭を下げて心から謝罪するでしょう。
しかし、この認識が薄い保護者は、うちの子も以前、嫌なことを言われた。自分の子だけじゃない。
先生はなんで気づかなかったのか。などとするかえたり、言い訳したりしてなかなか非を認めようとしないケースも多いです。

報道に関しては、親の責任を追求するも記事は皆無です。代わりに学校や教育委員会の責任や落ち度を大きく取り上げます。
それは、公務員という性質上そうなっているだけのことで、少なくとも我が子がいじめをしたと認識した後、保護者として誠実な対応をとったのかどうかは大きな問題です。

いじめの自死や報道されるような深刻な被害が出た際、いじめた子の親はどう思っていて何をしたのか。は全くベールに包まれたままです。
そして学校や教育委員会の記者会見やお詫びの様子などが報道され、今後外部調査委員会で詳しく調査します。また、学校としては再発防止に努めてまいります。という決まり文句を言ってひと段落、次は報告書が出てから報道が再熱しますが、〇〇された。いじめが〇〇件確認された。という報道にとどまり、再び学校の会見や被害者の保護者が苦しい心情を語る。という報道がなされて落ち着きます。
ここまで1年から3年ほど、その間、加害川の子がどうなったのか、反省しているのかどうか、親はどんな思いでいるのか。
全く世間に知らされないまま、いつも間にかだんだん風化していきます。
その後は〇年が経ちました。として、報道されます。

この対応が、いじめを受け、苦しみ抜き、自ら命をたった日本社会や教育界に向けての「問題提起」や
「私たちに教えてくれたこと」は話題になりません。
難しい部分のあるのはわかっていますが、その子の想いや命を犠牲にして訴えたかったことを私たちは真剣に受け止め、
これからの生活に生かしていかないといけないと思います。
学年や自治体が変わっても、起こっていることは同じです。
国全体から言えば再発しまくりの現状なのです。

私が一つ思うのは、保護者の責任というのならば、保護者に指導できる、アドバイスできる人が必要なのかもしれません。
家庭教育が治外法権になれば同じことが繰り返されると思います。