よく、「社会は暗記科目でしょう?たくさんのことが覚えられないので社会は苦手です」という言葉を聞きます。

私は社会科の教師でしたので何度も言われました。確かにそのような一面はあります。

英語の単語と同じように、社会的事項を覚えていないと使えないということも多いです。

 

さて、中学校を例にとりますが、「学校の授業」と「学校外で行われる授業」あるいは「家庭で学習すること」は全く別物です。

同じ歴史の教科書を使っていたとしても、明らかなちがいがあります。

 

このちがいを知っておくと、とても役に立つし、子どもさんへの声かけや自分の勉強に生かせると思います。

 

後者からいくと「学校以外で行われる授業」は入試問題を解くため、あるいは定期テストを解くために特化した学びと言えます。

家庭学習も同様です。つまり、「教科書」の内容を教える。もしくは「教科書」に出てくる社会的事柄を覚える。ということになります。

 

しかし、中学校で行われている「授業」は教科書を教えるのではなく、教科書をつかって○○を教える。ということになります。

 

わかりやすくいうと、「学校外での授業や家庭の学習」における教科書の内容は「目的」そのものです。

しかし、学校で行われる「授業」は教科書を通して能力や技能を伸ばす。という「手段」でしかありません。

 

つまり、学校の授業は社会科の能力を養うための「手段」なのです。

ここにあきらかな誤解と乖離があります。どちらかがいいとか、わるいとかではなく、違うのです。

 

では、学校では何を目標に授業をしているのか、社会科を例にとります。

社会科の目標は、地理的分野では、

(1)日本や世界の地理的事象に対する関心を高め,広い視野に立って我が国の国土及び世界の諸地域の地域的特色を考察し理解させ,地理的な見方や考え方の基礎を培い,我が国の国土及び世界の諸地域に関する地理的認識を養う。

(2)日本や世界の地域の諸事象を位置や空間的な広がりとのかかわりでとらえ,それを地域の規模に応じて環境条件や人間の営みなどと関連付けて考察し,地域的特色や地域の課題をとらえさせる

(3)大小様々な地域から成り立っている日本や世界の諸地域を比較し関連付けて考察し,それらの地域は相互に関係し合っていることや各地域の特色には地方的特殊性と一般的共通性があること,また,それらは諸条件の変化などに伴って変容していることを理解させる。

(4)地域調査など具体的な活動を通して地理的事象に対する関心を高め,様々な資料を適切に選択,活用して地理的事象を多面的・多角的に考察し公正に判断するとともに適切に表現する能力や態度を育てる。


たくさんあるのでざっくり、黒字した部分を読んでいただくとよいと思います。

 

少々難しいですがこれらを「教科書を使って」学ばせるのが社会科教師の仕事なのです。

○○年に何が起こった。○○県では○○がさかん、ということは、社会的事象であり、これをつかって、多角的に考えたり、

推察して自分の仮説を検証したり、社会的味方考え方を養う授業を仕組むのです。

 

ですから、知識量を図るようなテストで高得点をとる。ことに躍起になることは理解できますが、実は、義務教育が狙っているところはそこではなく、もっと高く、もっと広がりのある「学び」なのです。

 

たとえば、地理の目標のなかに、「地域的特殊性」と「一般的共通性」というのができきます。

これはどういったことかというと、一つ例をあげてみます。

 

日本全国にはお祭りがあります。ある地域では「大綱引き」、ある地域では「大きなわらじに人を乗せてゆらす」祭り、

また、ある地域では「砂をかけて回る祭り」、またまたある地域では、「はだかで宝物を取り合う祭り」があるとします。

 

日本各地のまつりはその地域ごとに異なる、つまり「地域的特殊性」があります。

しかし、各地域のまつりで「願っていること」は、共通する部分が大きいです。

それは、「大漁や五穀豊穣」「疫病退散」「神々に奉納」と言った共通項があるのです。これが「一般的共通性」です。

 

このようなことに「気づき、考え、まとめ、表現し、他の人を意見を聞いて、比較考察し、さらに自分の考えを吟味する」

このような経過を単元として仕組み、教科書の内容を使ってある目標を目指しているのです。

 

だから、「学校の授業」は私たちが思っている以上に系統立てられており、学力の尺度が広く、評価の観点もテストの点だけではないのはこのせいです。確かにそういわれると、テストの知識量を図る問題が完璧にできていたとしても、

授業における課題解決的学習に対して消極的だったり、自分の意見を考えなかったり、発表したり、することがなければ、

よい評価が得られるわけではありません。

 

ですから、テストの点=「評価」ではないのです。

これは社会科だけでなく、9教科で共通するものです。

そうなると、「教室で授業を受けることができない子どもたち」は高校入試の大きな要素となる「評定」がつかないことになるのです。


また、高校入試の問題は知識量を測る問題ではないので、ある程度知識量でカバーできますが、高得点を取ることは結構難しいです。

また、最近の入試では、教科に関係なく、地球環境や社会問題について問う面接があったり、英語で質問されて英語で答える面接、与えられたテーマを自分でプレゼンを考え、発表する私見もあります。全て公立高校です。

 

わたしはこれらのことを意識した上で、所属学校と教材を共有させてもらって評価材料を少しでも多く、提出し、子どもたちの頑張りが少しでも認めてもらえるような支援をしています。

「評定がつかない、あるいは評定不能」となり、進路選択が狭くなっているという課題があります。

それを打ち破っていくひとつの方法が私の挑戦です。

また、学習支援でも学習内容よりも「学び方」「学習の仕方」を教えています。

「学びに向かう主体性」という全ての教科に入っている評価項目がありますが、これは、「学び方」がわかっていないと出てこない学力です

 

私は自分に与えられた環境の中で、少しでも多くの選択肢の中から自分にあった、自分が求めている進路が選択できればとても喜ばしいことと思います。