「障害者差別解消法」が改正され、今月1日から全事業者で、「障がい者への合理的配慮」が義務付けされました。
さまざまな障がいがある人に対し、利用について「合理的配慮」のリクエストがあれば事業者は可能な限り「合理的配慮」をしなければならない義務があるということです。
例えば、レストランなどで車いすだからという理由のみで食事することを拒まれたり、発達障害があるからという理由で入店や
活動を制限されなくなります。
当然と言えば当然ですがいままではそうではなかったので、「すべての人が差別されることなく、等しくサービスを受けることができる社会」になっていければと思います。
ところで以前、「発達障がいがある子は受け入れていません」と「学校外施設」の方に言われたというお話を聞きました。
私はそんなことは考えたこともなかったので正直、すごく違和感を感じました。
実際に受け入れられないケースはすごく多いそうです。
次のことは私自身の考えで、他の人や施設を批判するつもりは毛頭ありません。
私が違和感を感じたわけは「子どもを選んではいけない」と思っているからだと思います。
もしかしたら教員だったからかもしれません。
でも、やっぱり大人は子どもを選んではいけない。と思います。
ある「学校外施設」をあつめた冊子を見ても、そんなことは記載されていません。
ホームページにも書かれていません。だから期待して保護者や子どもは相談にいくのだと思います。
そして、受け入れることが難しいと言われると大きく落胆すると思うのです。実際そうでした。
「不登校」「ADHD」「起立性調節障害」「自閉スペクトラム症」「知的や情緒障がい」などは子どもを差別する分類ではないはずです。そう言った方が周囲の大人や学校に理解されやすく、適切な対応や指導、支援、配慮が受けることができるからそう呼んでいるだけだと思います。
私のフリースクールでは「特別支援学級のお子さん」でも「問題行動が多いお子さん」でも、「発達障がい」のお子さんでも
子ども本人が来て頑張りたい。ここですごしたい。という気持ちがあるのであれば喜んで受け入れます。
これは特に言わなくても当たり前のことと思うのですが、実情はちがうそうです。
「受け入れられない理由」はなんでしょうか?
私のところでは、「自分自身や他の人の安全や安心を大事にできない状況」の子は別の時間に個人支援をしています。
東京のデパートで「純金の茶碗」をとった人がつかまりました。
中学時代は「不登校」だった、その後、引きこもった時期があった。と「不登校」や「引きこもり」状態が窃盗の要因になったと感じるような報道がされました。
また、大きな事件のたびに「容疑者は発達障がいだった」などと言われる部分もあり、抒情酌量に使われるような扱いもあります。このようなこと自体が「差別」や「偏見」につながるのだと思います。
このようなことが社会に渦巻くと、子ども本人や親御さんもなにか悪いことをしたみたいな感じになり、「どうしてこうなったのか」「育て方がわるかったのか」「これからどうしようか」とか悩みが膨らんでいくのです。
もっと社会が何かのものさしで「子どもを分類する」ような取組は慎むべきだと強く思います。
そうならないと法律の規制だけではだめだと思います。