現在、日本全国の中学校では学習指導要領で年間の教科の時間数や特別活動等の時間数が決まっています。

1年間の教育課程の時間数は「年間1015時間」です。

この1015時間で教科、学校行事、特別活動、道徳等を組み入れないといけません。

時間割もその週ごとに組み替えられ、昭和のころのような「固定時間割」ではありません。

時間割を考える教務主任は毎週大変で、時間割を組みつつ、教科の授業の実施時数を計算しながら、

年度終わりにきちんと終了するよう年中気を張っています。

台風や積雪などで休校となるとごっそり時数がへるため、これを取り戻すためにさらに時間割を組みなおしていくのです。

このような作業が必要なことがあり、授業が組んであるから休暇を取りずらいという状況もあります。

だって代わりに誰か授業をしなければならないのですから。

 

こうした変化だけでも学校内は窮屈で心のゆとりはなくなります。これも先生方の大きな心理的負担となっています。

 

こうした中、不登校の児童生徒のための「学びの多様化学校」が各地につくられています。

何が違いのかというとまず、「年間の総時間数」が少ないのです。

規定によれば、1015時間を最大「750時間」まで下げられます。

つまり、この差は、265時間の減、1日5時間だとすると、まるまる53日分少なくなるということになります。

 

1年間の「学校に出席すべき日数」は「200日」なので単純計算で、147日の授業日数になります。

このことにより、始業時間を9:30~としたり、週に1,2回昼までの授業としたりも可能だと思います。

また、道徳、総合的な学習の時間等を組み合わせて1時間で行ったり弾力的に運用されるため、授業に余裕がでてきます。

 

こうした教育課程でも中学校の卒業となるし、あたりまえの評定もつきます。私立は年間50万以上かかる学校もありますが、

公立は無料です。

これだけをみれば、私が中学生だったら、「いいなあ、自分もそこに通いたいなあ」と素朴に思うと思います。

今のところはで大きなデメリットは資料を見る限りありません。

 

だったら、みんな多様化学校にすればいいのに。と思ってしまう私はだめなんでしょうか。

「学びの多様化学校」、一見素晴らしく見えるのですが、

個人的には「子どもを『ある基準』で分類し、その専用の学校をつくる」のはちょっと抵抗があります。

「学びの多様性」を旗印にするのであれば、「義務教育」自体が多様で柔軟になるのが筋だと思います。

 

どうして、わざわざ子どもをジャンルにわけて学ばせることになるのか、「共生社会」と逆行するような気さえします。

じゃあ、発達の凸凹が大きな子どもはその専用の学校をつくるのか。非行に走った子はその専用の学校をつくるのか。

これはとても危険は発想でダメなことだと私は思います。

 

しかし、「そんな学校をつくらないと不登校の学びの場が確保できない」と反論されると思います。

批判的になってしまってすみません。

「学ぶ時間数を減らそうと、登校時間を遅らせてようと要は先生がおり、クラスメイトもおり、集団生活がある学校」に代わりありません。「学校に行くことが難しい子」は「授業時数が多いから」「朝の始業時間が早いから」不登校になったのではないのです。学校というシステムや空間、人間関係、集団生活での生活のしずらさなどがあるので、「学びの多様化学校」だから行けるようになった。とは単純にならないと思うのです。

 

逆に「学びの多様化学校でもダメだった。行けない」となった子はどうしたらいいのでしょうか。

課題はいろいろありそうです。

 

これからの様子を注視していきたいと思います。

ただひとつ、私が大賛成なのは現在、別室に登校している子であれば、行ける確率は高くなるし、勉強を教えてもらう機関も激増するので有効な手段かなあと思います。