以前、戦後の教育はそれまでの複線型から単線型に変わったとお話ししました。

それまでは旧制中学をでると、職人になるために修行にでたり、技術を身につけるような学校にいったりという

選択肢が今より多い複線型でした。それが、義務教育は6,3制の9年間+高校3年間の12年間を保障しています。

高校は義務教育ではありませんが、国の制度整い、経済面での負担も大きく減ったため、大部分の子どもたちが高校へ進学します。

 

高校ではさまざまな学科があり、さまざまな学びがあります。

しかし、小中の義務教育では、学習指導要領に則り、画一的な教育が行われています。

日本の教育は勉強だけでなく、掃除、給食指導、道徳など「全人教育」が基本です。

エジプトやインドなどが日本の運動会などの特別活動や掃除指導を取り入れるなど手本とされるようなすばらしい

教育なんですが、この単線型の教育は、つまるところ、「地域の学校一択」となります。

 

それでうまくいけば何も問題はないのですが、現状を見てみると、いじめ64万件、不登校児童生徒数29万人、

小学校の暴力件数過去最多、先生方の精神疾患で休まれる数は過去最多、となっていることを見ても、

戦後80年余り、少し見直すべきところもあるかもしれないと私は感じています。

 

こうなった一要因は、「社会があまりにも学校に求めすぎ」ということがあるように思います。

「小学校英語の導入」「プログラミング指導」「ICTを使った学び」「主権者教育」「国際理解教育」「人権平和教育」

「性教育」「金融教育」「法教育」など、教育課程はパンパンの状態です。

 

また、発達の心配や特別な配慮を要する子どもに対する指導も必須であり、特別な支援方法を学ぶ機会がない先生が

子どもと毎日向き合い、四苦八苦されていることがあります。これは、子どもにとってもよくないことです。

私は大学の教育課程でも先生になってから特別に研修したことはありませんが、実際の子どもに向き合うために、

15年以上くらいから、学習障害や発達障がい、知的障がい、情緒障がい、いわゆるグレーゾーンの子どもや自傷行為、

非行、OD(オーバードーズ:薬の多様摂取)などの子どもをどう理解し、どう接し、どのような機関につなげればいいのか。

自分なりにたくさん本を読んだり、お医者様の話を聞きに行ったり、研修会に参加したりと勉強してきました。

それでも、学校ではわからないことだらけでした。

これでは、目の前の子に適切な支援ができないと悩んだことも多くありました。

 

国の考え方、これからの社会の在り方として、「共生社会」つまり、だれもが安心して学んだり生活したりできる社会、多様性が認められ、尊重される社会が求められています。

ですから、学校は、「多様な子どもたちに対応するためのスキル」が必然的に求められる世の中になっています。

しかしながら、そのスキルは大学で学んでいないし、教科の教員免許をとる学習に含まれていないので、

基本、「わからない」のが普通です。

 

私は社会科の教員なので、社会科を教えられます。しかし、特別な支援を要する子どもにどう対応するか、発達の課題がある子どもをどう理解し、どうかかわっていき、どう声をかけていけばいいのか。

何も学ぼうとしなければ「わからない」ままです。

 

制度上は「どの子も一緒に」という考え方ですが、先生方にすべての子どもの対応するスキルを求めるのは現状では難しいです。

ですから、「子どもへの愛情」とか「先生方の情熱」でと言われますが、到底難しい話です。

 

まず、義務教育を見直すとするならば、「学校にマンパワーをつける」これしかないと思います。

教育分野だけでは学校の学びは保障しにくいです。福祉分野の知識、コンピュータの知識と技能、

特別支援教育の知識と技能を持った人材の確保が必要だと思います。

 

このような多角的に教育活動を行わないと多様な子を同じ方向に導くことは難しくなります。

また、「単線型」「地域の学校一択」をつづけるならば、多様な子がそれぞれ生き生きと学べるよう

「学びの内容」「選択肢」なども多様でなければなりません。

「教科」「学校行事」「道徳」「特別活動」とそれを定める教育課程(現在は中学校は年間1015時間)という形は

昭和30年代中頃から変わっていないので、もう50年くらいかわっていなくて、時が進むにつれ、やることがどんどん

積みあがっていっているのです。

 

ここを何とかしないと、「働き方を見直そう」と言われても、やることが同じでは余計に苦しくなってしまいます。

現に、今学校では、やることは山積みなのに、学校に残ってもダメ、家に持って帰るのもダメ、土日に来てもダメ、

でも部活動はもってほしい。こんな無茶な現状では先生方があまりにもかわいそうです。先生方が元気で生き生きと笑顔で授業をしてこその子どもの笑顔や学びにつながると思います。

この原点を忘れてしまうほど、業務がひっ迫しているのです。

 

もうそろそろ、「教育改革」が必要ではないかと私は思います。