昨日、不登校について大きく報道されました。

内容をご紹介します。

 

不登校になった要因について、当事者である児童生徒と保護者、教員で認識に大きなずれがあることが文部科学省の委託調査で分かった。児童生徒が「いじめ被害」や「教職員からの叱責」と回答した割合は教員の6〜8倍に上った。子どもの事情を学校側が十分把握できていない状況が浮き彫りとなった。文科省から委託を受けた子どもの発達科学研究所(大阪市)が児童生徒と保護者、当時の担任教員らを対象に当事者のヒアリングも含めて調査した。

22年度に不登校として報告された児童生徒239人について不登校の要因を複数回答で聞いたところ、教員は「いじめ被害」「教職員への反抗・反発」「教職員からの叱責」との回答がそれぞれ2〜4%だったのに対し、児童生徒と保護者は16〜44%と大きな開きがあった。児童生徒と保護者の6〜7割が「体調不良」「不安・抑うつ」といった心身の不調を要因として挙げた一方、教員は2割弱にとどまった。「学業不振」「宿題ができていない」などは3者の回答割合が近かった。

文科省による22年度の問題行動・不登校調査では不登校の理由として「無気力・不安」が半数以上を占めたものの、詳細は明らかでなかった。同調査で教員が「無気力・不安」とした児童生徒にヒアリングなどをしたところ、いじめ被害や生活環境の激変、家庭不和など様々な回答があった。同研究所は「いじめやトラブルなど象徴的なきっかけがない場合に(学校側が)無気力・不安と回答しやすい可能性がある」と分析する。

 

という内容です。私は毎年の「文科省調査」は「学校が回答したものなので、当事者の理由とは乖離がある」とこの1年間あらゆる場で言い続けました。だれがいいとか、悪いとか、調査がちゃんとしてないとかいうことでは全くありません。

登校が難しかったり、別室登校の子どもたちに寄り添った支援するには、『正確な見立て』が必要といっているだけです。

この点は、昨年12月に長崎市議会の教育厚生委員会でお話しさせていただきました。

その時は、毎年の文科省調査では「いじめ」が要因と考えられる不登校の割合は0.3%です。(学校が回答したもの)

しかし、令和2年に前年度に不登校であった子どもや保護者にとった文科省の調査によると、「いじめ」が要因となり、学校に行きずらくなった。と答えた子どもは30%近くいたのです。

まったくかけ離れている数字です。

 

今回、このことを客観的に裏付ける調査結果が出たと思っています。

それは、教員は「いじめ被害」「教職員への反抗・反発」「教職員からの叱責」との回答がそれぞれ2〜4%だったのに対し、児童生徒と保護者は16〜44%と乖離があります。

 

先生方の多く(96%~98%)は「いじめ」「先生方からの叱責、反発や反抗心」が不登校のきっかけになっているということをほとんどと言っていいほど認識していないということになります。

であれば、何が変わってくるかというと、「休み始めた子どもに対する言動」です。

原因もよくわからないので「怠け」「さぼり」「甘やかし」「保護者の放任や無関心」などととらえてしまうのではないかと思います。そうなると、うまくいくわけありません。加えて先生方が「体の不調」ですら認識されていないという結果なので、

「身体もきつく、学校に対する恐怖や不安があり、足がすくんでしまう」子どもの状態を認識できるわけがありません。

そうなると、保護者に「とりあえず連れて来てみてください」とか、「一回入れば平気です」などの言葉が出てくるのだと思います。たまったものではありません。ますます行けなくなるにきまってます。

だからこそ、先生方には「正確な見立て」をしていただきたいです。そのためには、学級の様子、指導後のフォロー、家庭との連携、先生方との情報共有が不可欠です。

 

また、この記事にはつづきがあり、「先生方はいそがしいので正確に子どもの状態をつかむことができない」だから、「学びの多様化学校や校内支援スクール」を増やし、ICTを積極的に活用する。と文科省が言っています。

 

私見ですが、「子どもの状態をつかむ」ことよりも大事な先生方の仕事ってなんでしょうか?

時に命にもかかわることで最も最優先されることだと思います。

また、不登校になってからの対策ばかりが先行しています。

いいことなんですが、そうならないための対策は「信頼関係づくり」とか、「不適切な指導をやめよう」などのぼんやりした

対策でいいのでしょうか?

「いじめ」が疑われる不登校は即、「重大事態」です。

そうさせない、そうならないための方策はただひとつ「健全な集団」をつくるしかありません。

「健全な集団」とは、正義が通り、いじめやいじりが発生したら誰かが「これはいけないと思います」と先生に言えること、

そしてそれをしっかり受け止め、「情報源は秘匿し、指導できる先生」がいてこそ、「集団」は成熟していきます。

それをするために特別活動はあるし、そのためにわざわざ生徒を登校させて、集団生活をさせているのです。

 

今回の記事で自分が感じていたこと、言い続けていたことははずれではなかったな。と思いました。

これからは今日までより少し自信をもって多くの人に伝えていきたいと思います。