前回、「いじめ」に特化した授業(学習)の必要性についてお話ししました。

今日は少し具体的にお話しします。学校でいじめが明らかになるケースはいろいろありますが、

最も多いのは「子どもがもう学校に行きたくない」と言っている。話を聞いてほしい。という保護者からの連絡です。

子どもが親に話をする場合もあるし、しない場合もあります。

 

それを受け、学校では子どもが最も信頼しているであろう先生が話を聞きます。保健室やカウンセリングルームなど落ち着いて話せる場所で行うこともありますが、家庭訪問する場合もあります。

だいたい、「嫌なことを言われて我慢できない」「嫌なことをされてもう限界」という話になります。

そして、「あなたがされたり、言われたりしていることは『いじめ』だよ。我慢しなくていいことなんだよ」というと

結構な割合で「いじめなんですか?」「私、悪くないですか?」と聞く子どもが多いです。

 

「そうだよ。あなたはいじめられていい理由なんて一つもない。いじめる方が100%悪い」というと「ホッとした表情」をするのです。翌日、「嫌なことをした、言った方の子ども」と話をします。

「あなたたちがしたこと、言ったことはいじめだよ。許されないことです」というと、

「いじめなんて、そんなつもりじゃありません」「冗談で言っただけ、少しいじったただけ、です」と言います。

 

「いじめ」と言えば、「自殺」などと結びつくとても重いイメージがあるので、「そんなことでいじめ?」という子どもが多いのです。

保護者はどうかいうと、「先生から聞いたけど、あなたがやったことはいじめよ。反省しなさい!」と聞いたことはまれです。

ほとんどの保護者は「学校はうちの子をいじめの加害者にするんですか?」「なんで決めつけるんですか?」

「犯人扱いじゃないですか?」「威圧的に話を聞かれて怖かったと言っています。先生方のいじめではないですか?」

などと言われる方が多いです。

 

ここで、学校はきちんと「いじめの定義に照らして考えて『いじめ事案』と判断したこと」

「被害者からの訴えが事実であり、法律で定められたいじめの対応に基づいて指導しなければならないこと」を

言う必要があります。

 

ここで学校が「やった方」の親御さんたち(一人でない場合が多いので)の勢いに負けて、「やった方」になびいてしまうと、結果的には「やられた方にも責任があった」「冗談のつもりで悪気はなかった」「お互いに反省すべき点があった」などの

いかにもそれらしい「正論?」に問題がすりかわり、お互いに謝ってみたり、逆に被害者があやまったりと「いじめの指導」が

まったく逆になり、学校が二次的被害を与えてしまうことになりかねません。

 

「いじめはだめ」と子どもたちも親も知っていますが、「何をされたら、どんなことを言われたらいじめか」「いじめの定義はなにか」「いじめをするとどうなるのか?」ということが子どもたちはもちろん、保護者も全然知りません。

もっと言えば先生方にも知らない人がたくさんいます。

ましてや「いじめ防止対策推進法」なんて、名前は聞いたことがあっても中身を知っている保護者なんてほとんどいないと思います。そして、いざ、いじめが発生したとき、指導をするときに「○○はいじめなんですよ」「法律では・・」なんて話しても親は納得するはずがありません。「そんなの知らん」「うちの子を寄ってたかって先生方が事情を聞いて人権問題ですよ!!」などと言われるようでは、「いじめに毅然と対応すること」なんてできません。

こんな指導もできないならば学校が判断して、いじめた子を別室で学習させたり、よほどのけがや犯罪行為でないかぎり、

警察に通報したりできるはずがありません。

実際は、言葉でのいじめもきちんと指導できないことが多く、厳罰化以前の問題なんです。

 

このことを防ぐには「いじめの定義は何で、どんな行為や態度、行動がいじめにあたるのか?、いじめをしたらどうなるのか?」

発達段階に応じて就学前から学ばせる必要があります。年に1階でも繰り返し、毎年やれば、効果はあります。

PTAでも保護者会でも年に1回は「いじめ」についての保護者の学びが必要です。

 

このような取組を毎年している自治体もあるようですが、全くしてない自治体がほとんどです。

「いじめられた子に寄り添い、徹底的に守り抜く」ことが法律の趣旨ではなかったでしょうか?

事案が起こってから指導、説明でなく、起こる前に全体に予防指導をしておく。これが欠かせないと思います。

「総合的な学習の時間」は50時間程度あります。

学校では何をしようか? と時間が余ることもよくあります。

本当に本気でいじめをなくし、一人の自殺者もださないような決意が大人にあれば、1時間でも2時間でも「いじめ学習」を

行うことが必要だと感じるはずです。

よく、人権教育や平和教育、道徳の時間で学習しているから大丈夫。という意見を伺います。

しかし、人権教育も平和教育も道徳も、○○しましょう。○○していくといいですね。○○でありたいですね。

ということが大半で、「人権侵害はだめ」というくらいで、「子どもの言動を諫める」学習ではありません。

ですから、「いじめはだめ、だから○○な言動はしてはいけない」という「具体的行動を規制、抑制する」指導が必要だと私は思います。このことが被害者を生まないばかりか、加害者もうまない学校にしていく唯一の方法だと思います。