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前回は教師の「不適切指導」についてお話ししました。たしかに、人間性やデリカシーのなさとしかいいようのない不適切な指導もありますが、大半は「無知識や無理解」「思い込みや偏見」などからくるものが多いです。

 

未だに「不登校の子は弱虫で豆腐メンタル」だとか、「家庭が甘やしているんだ」という先生もいます。

また、「おとなしい子には強く、強く主張する子には弱い先生」もいます。

 

緘黙(かんもく)という特性のある子がいます。

家では普通に話ができ、にこやかに笑ったりしていたって同じ世代の子と何ら変わりありませんが、

一旦学校に入ると何も話すことができなくなります。

友達もよく知っていて、授業や活動でフォローしてくれます。そのこともあって、数人の友達とは少し学校でも話ができる子もいます。

 

中学校では年度のはじめにかなりの時間をとって、「子どもに関する共通理解」をします。

当然、緘黙の子も配慮が必要ということで、各教科で「意図的なしないようにしよう」や「発表やスピーチなどを授業でさせる際には配慮しましょう」などと共通理解をします。

このようななかで、「一人だけ特別扱いはおかしい」や「不公平」などという先生もいます。

これは全く根拠がなく誤りです。

合理的配慮とは「その子に必要な配慮をすることで、それが合理的に行われ、決して、特別扱いや不平等ではないもの」

なのです。

 

このような人は、授業中にグループ発表をさせ、無理やり言葉を言わせようとしたり、指名して「ちょっとだけ言ってごらん」と、一見よさそうな言葉かけをしますが、本人も周囲の生徒もがっかりします。

 

このようなことが1年間、つづくと信頼関係は築けません。

このような人は「自分の感覚や価値観が中心でものを感じたり考えたりする」ので、「大きな音にびっくりしてしゃがみこみ、耳を押さえる子の気持ち」や「学習障害があり、板書を写すことがうまくできない子の気持ち」「学校の玄関の前で固まってしますう子の気持ち」がわかりません。

「わからないものをわかりなさい」といってわかるものではないし、大人でも特性がある人が大勢います。

 

ですから、「不適切指導」によって子どもが傷つかないようにするためには、チームで複数で確認、対応し、自己判断をしないことが求められます。

 

私のところには「不適切指導を受けた」というお話がたくさん寄せられてきます。

何とか力になりたいのですが、「学校復帰したとしても先生方の対応が今から変わらなければ復帰する価値はないですね。

心の傷が増えるだけです」と話をするケースも少なくありません。

学校の一番の仕事はすべての子が安心して通うことができる学校環境、人的関係をつくることです。