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いじめについて、いじめをゼロにすること、それは「いじめをする人をなくすこと」です。

加害者がいるから被害者がいるわけで、ひとをいじめる人がいなければ、いじめは存在しません。

 

実に単純で言うのは簡単ですが現実的には難しいことだと思います。

 

一つ言えることは、前回お話ししましたが、「いじめを受けた人が『強くなる』「乗り越える」「我慢する」ということを強いられることは一切ありません。」それは真逆で、解決するには「いじめた側がやるべきことです」

いじめられた側がいじめられた上に、責められたり、自責の念にかられたりする必要はないし、あってはいけないと思います。

 

私の経験上、学校生活の中でいじめをする子は「恨みや仕返しなどと言った確固たる覚悟」なんてありません。

「ただ、気に食わなかった」「調子に乗っていると思った」「なんかムカついた」その程度です。

ですから、「自分に責任が及ぶ」「不利益を被る」「取り返しのつかないことになるかも」と思った段階で、

今まで一緒にやっていた子たちは蜘蛛の子を散らすように逃げていきます。

 

我が子の時もそうでしたが、相手に謝ってもらってもこちらの苦痛はずっと残るし、後遺症ものこります。

そのせいで、登校できなくなったり、心の元気が奪われたりすると謝ってもらっても意味がありません。

ただ、「自分がやったことを最後まで認めず、逃げる人」もいるので、「非を認め謝ってもらうことはそれとくらべればまし」と言えるくらいです。

 

つまり、深刻な被害を受ける前になるべく早く対処することが、得策です。

しかし、いじめには「いじめられる方にも責任がある」という何の根拠もないことをあからさまに言う人がおり、一定の風潮を作っています。ですから、子どもは「もしかして自分が相手を怒らせてしまったんじゃないか」とか、「自分が嫌われるようなことをしたんだ」とか、「自分にも責任があるんだ」と考える子が実に多いです。

 

「いじめは克服しなくてはいけない」や「いじめはいじめを受ける側にも責任がある」という暴論は、小学校の段階で、

「このような考えはまちがいである」と教えるべきことだと思います。

 

よく、「いじめは毅然として対応すべし」という人がいますが、毅然と対応ができるかどうかは、確固たる自分が正しいという根拠と信念があってからのことです。

「自分が悪いのかなあ」とか思っている子どもに「毅然とした対応」なんてとれるわけがありません。

 

「いじめの教育」が学校で不十分なら、家庭でしっかりと教えておくべきことだと思います。

「いじめはダメなこと」「もし、いじめを受けたら自分が悪いのではないこと」「いじめられることは恥ずかしいことではないこと」「心の苦痛を感じたら我慢せず、すぐに家族に言うこと」などの家庭教育をすることで、初期対応をしっかり行えるようにすることだと思います。