今受験期真っ最中です。

私が住んでいる長崎県の公立高校入試は来年度、新しい制度で行われます。

資料を見てみると、受験の回数や各高校の選抜方法の裁量幅が広がっているものさほど大きな変化は感じません。

「調査書の割合(内申点)」も各学校で若干の差があるものの、平均すると「当日の学力テストと同等、もしくはそれに近い割合」で選抜されます。面接を重視する高校は、内申点の割合を若干低くしているようです。


私は、「学校に行くこと難しい子」「教室で授業を受けられない子」でも、所属学校と協力、連携して「学習教材の共有化」を図ったり、

密に連絡をしていくことで、学校外施設での頑張りを評価していただき、評定もつく教科も複数あることがわかりました。

支援の方法次第で、学力の向上だけでなく、内申点の向上にもつながることができます。

文科省の方針からもこの考えは間違っていません。


しかし、東京、神奈川、の公立高校では、当日の入試の点数だけで合否を決める方法がとられているようです。

賛否はともかく地域差があることはあんまりいいことではないかと思います。

もし、不登校の子が受験する場合、学力だけで合否が決まるのはよさそうな感じもしますが、学力が一定の基準に達していないと難しいことも事実です。「授業が受けられない」状況の子が「学力のもの選抜」に耐えうる学力をみんながつけられるかは私は疑問です。


また、中学校の教員の立場から考えても、歓迎できる制度とは思えません。

それはなぜか? 次のような懸念があるからです。

○ 受験に必要な「5教科のみ頑張ればいい」と考える子どもや保護者が現在でもいる中で、当日の点さえ良ければいいとなると、

ますます、このような傾向が高まり、技術家庭や体育、音楽、美術といった技能教科軽視してしまう可能性があること。

受験前、技能教科の時間に英語や数学などの勉強をして指導を受ける子もたくさんいました。

○ 私が勤務したある学校では、入試の前になると、学校を欠席して塾に行く子が何人もいました。

学校の授業よりも「受験に特化した学習時間」を優先したものと思われますが、本末転倒です。

このような傾向が一層強まる危機感を感じます。


そうなると公立学校の義務教育としての意義が薄くなるような気が私はします。

仮に当日の入試の得点が境界の範囲であっても、「3年間、真面目に授業を受け、努力した結果が『評定』として現れる」ので、

それで救われる、認められることも多いと思います。


また、最大の課題は、当日一発勝負のテストの点で「合否を決める」ならば、そのテストは何を図るか?

テストや問題を解く、というのは文科省は「学力に一部でしかない」と言っています。

では、「学力とは何か?」それは、ペーパーテストをはじめとする、自主的に学習に向かう意欲や思考力、判断力、表現力というものの総合的学力であり、その評価が「評定」です。

つまり、当日のテスト(学力の一部)で選抜をするならば、文科省が言っている学力とは矛盾するのです。


こう考えると「評定」というものはとても大事なものであるし、日本全国どこの学校に行こうとどの先生が評価しようと「同じ評定」出ないといけません。たまに、「評定が先生によって違う」というものを目にしますが、評定をつけるためには、「評価基準」と「評価規準」があり、質と量に応じて客観的に評価するようになっています。

昔のように先生によく思われなていないから「1」がついた。なんとことはないし、あるとすれば大きな問題です。


これからの義務教育と入試のある方が問われます。


「3年間の中学校生活の頑張りを今までのように大きく評価するのか?」「当日の『学力に一部』で合否を決めるのか?」

これからどうなるのか。注視していきたいと思います。