今日から、いじめをやめさせるもう一つの方法について考えていきたいと思います。

対象は学校におけるいじめですが、大人の架空のパワハラを例にお話しします。


ある会社で1人の社員がいじられキャラとして周囲に認知され、周囲から茶化されたり、嘲笑したりが当たり前になっていました。

この社員さんがミスをした時、上司はこの社員の集団内で弱い立場であることを知っているから、少々やってもいいだろうと、乱暴な言葉や書類ファイルを足下に投げつけ、「お前なんかやめちまえ!」と言ったとします。

それを見た周囲の社員は見て見ぬ振りをするもの、クスクス隣同士で笑っているもの、怪訝な顔をしながらもパソコンを打ち始める人などに分かれますが、その行為は全て「その社員へのパワハラは黙認」という空気が職場に充満します。


次の日、当たり前に出勤したその社員を「昨日、失敗した、叱られた」ことをいじります。

そのいじりで周りはクスクスからワハハと大きな笑いに変わります。当の本人は照れ笑いをしながら一緒に笑っています。

その反応を見た周囲の人は、「この人には少々やっても笑って我慢する」という空気が高まります。

それからことあるごとにいじられ、失敗を責められ、怒鳴られ、バカ、アホが日常的に飛び交うようになりますが、

周囲の人はこの異常な空気にだんだんとなれ、当たり前に感じ、その社員がいじられることで職場が和むなどと歪んだ認識を持ってしまいます。これがいわゆる集団心理です。また、ひどくなるとその社員をいかにいじるか、恥ずかしい思いをさせるか、より酷いことをした人が集団の中で「すげえな」と周囲からヒーロー的な扱いをされる事もあり、いじめはとめどもなくエスカレートしていきます。

場合によっては、飲み会で飲み物に異物を入れたり、裸同然で踊りを強要したり、と通常考えられないことが、その集団の中だけの世界で行われます。ひどい場合には、わざと火傷をさせる、飲み物でないものをのませる。など、明らかな犯罪ですが、もはや自分達で止めることはできません。どこかの学校ある先生が熱いカレーを顔に押し付けられるという事案がありました。まったく同じです。

また、実は、学級崩壊もまったく一緒の行程で崩れていきます。学級内、部活動内など継続する集団のいじめはおおよそこんな経過を辿るのです。


もし、この会社に本社の人が視察に来て、「みんな00さんに風当たりが強いな」などと指摘されたとしても、「あいつはあんなキャラなんですよ。いじられて喜ぶというか。。。」などと言ってしまうため、「ああ、そうか」などと何ら問題として取り上げられません。


ある日、この社員は、「会社で散々いじめられた。もう生きていくのは無理」という遺書を残し、通勤電車に飛び込みました。

大きな問題となり、警察や会社が調査をします。

「まぜ誰も止められなかったのか?異常だ。」と社会の批判を受けます。

しかし、会社の上司や社員たちは、「本人がそんなに苦しんでいると思わなかった。だって、いじられキャラでいつもいじられても笑っていた」などと証言が出て世間を驚かせます。そうです、本人は笑いしか自分を保つ方法がなかっただけです。

ここで気がついてももう遅いのです。いじめと遊びは違います。両方が楽しいのが遊び、片方だけはいじめです。


遺族は名誉の回復のために裁判や労災認定申請を起こします。

遺族はお金をもらうことが目的ではなく、「本人の無念や悔しさを世間に知らしめ、尊厳と名誉の回復する」ために戦います。


こんな事案が我が国で何度繰り返されているでしょうか? 

「後を立たない。」という表現が最も当てはまると思います。

小学生から大人まで、いじめ、パワハラ,セクハラ、長時間労働等の強要などによって、異常なことが繰り返され、

大切な大切な命がいくつも失われているのです。


今お話しした例は、自死という最悪の結果ですが、精神的に追い詰められ、病気になってしまったり、退職せざるを得なかったり、と命に関わることにつながる事も多いと思います。命は助かったけど、社会的には全てを奪われた。という人もいます。


私は少なくとも、義務教育の中で、子どもが自ら命を立ったり、転校を余儀なくされたり、不登校になったり、人間不信や心の病気になったりすることは無くさないといけない。と思います。


しかし、現実は、日本中の小中学校でいじめが68万件もあり、自ら命を絶った子どもは昨年度、500人以上います。

その中には残酷で陰惨ないじめを受けて亡くなった子どももいます。

どんなに悔しく,どんなに情けなく、どんな想いで遺書を書き、自ら命を絶ったのか。

そこの子の気持ちを考えると、私は心が悲しさと怒りで心がちぎれそうになります。

ここ数日のニュースでも、「いじめの放置」「重大事態の見逃し」「部活動ないの陰惨ないじめ」がいくつも取り上げられています。

ニュースでは、まだ事案が発生したばかりで事実確認も何もできてない中で、「再発防止に注力したい」「防止策を徹底する」など、もう、次のことを言ってしまっているコメントを聞くと、すごく違和感を感じます。

「まず、徹底的に事実確認をして原因を追求する。全てに真摯に対応する」ことが最優先です。

過去の悲しい教訓は、本当に現在に生かされているのでしょうか?

昭和後半に、いじめで自死した子に行われた凄惨ないじめに先生が加わった事案もありました。

「生きているその子の葬式のための寄せ書きに担任がお別れのコメントを書いていた」ことは、社会に大きな衝撃を与えました。

これも学級のよどんだ空気が生み出した最悪の出来事だと私は思います。

この子は「毎日が生き地獄だよ」という言葉を残し、自ら命を絶ちました。

平成23年の滋賀県大津の事件も言葉にできないような酷い扱いを複数人から受け、その子は命を絶ちました。

その学校のある先生は「いじめの現場」を校内で見た時「やり過ぎんなよ」という言葉を言っています。

その言葉を聞いた被害者はどう感じたでしょうか。

令和になっても同じことが起こっています。


このような事案に対し、「親も何で気づかなかったんだ」とか、「普通気づくだろう」というような心ない言葉が浴びせられました。

子どもは親を心配させないために、どんなに心や体を傷つけられても必死に隠すのです。

あるいじめ自死事案では、その子をいじめた子たちが、snsで「〇〇が死んだらしい、やばいよね」「責任はみんなにあるよ」などと、

相談していた事案もありました。


本当に、過去の教訓、再発防止の策が生かされているのか。何度同じようなことを繰り返すのか。

子どもの命を守ること、危険に晒さないことは大人の一番大事な役割です。

いじめを防ぐ方法はないのか。子どもに関わる全ての大人が真剣に模索し、議論して子どもを助けないといけません。

次回、私の考えをお話しします。