ただのおじさんの昔話です。 

 

 私は小学生のころから母子家庭で育ち、生活保護をもらいながらの生活だったのでとても経済的に苦しい生活を送っていました。1月に1回くらい監視にやってくる、同じ町に住む文房具店を経営している民生委員のおじさんには、毎回、「しっかり母ちゃんを支えろ、妹の父親がわりになれ!」と言われました。

 当時、私は県外から転校してきたばかりで全くなじめず、いじめもあって学校に行っていなかったので、

「そんなことでどうする?社会では通用せんぞ!!」とおじさんに責められることも多く、いつしか大人への反抗心が人一倍強くなりました。

 また、「自分は人と違うんだ」という考えを強く持ってしまい、登校もせず、ぼんやりすごすことも多い毎日でした。

中2になってから、同じような心境の仲間ができました。

ただ、仲間といるときはいいのですが、「先輩」というやっかいな人々がおり、先輩からお金を取られるのです。

仲間の中には、バイクを盗んだり、シンナー盗んだりして売ったりしてお金をつくり、先輩に納めている仲間もいました。

私は仲間はとても大切におもいましたが、「先輩」とやらが、どうにも許すことができず、おかしいと思っていました。

また、違法なものに手を出すことに強い抵抗があり、これだけは仲間から誘われても頑として断りました。

 

いつしか「なんでしないんだ。自分だけずるいぞ!」と仲間に思われるようになり、つまはじきにされ、暴力も受けました。

この時、ぷつーんときて、「もういい、絶対に人は信じない。一人で生きる。誰の世話にもならない。仲間も作らない」と心に決めました。仲間とも疎遠になり、犯罪に巻き込まれる心配はなくなったものの、学校にも行ったりいかなかったりでどんよりとした生活をしていました。

 

こんな背景があり、「中学卒業したら就職するんだ。それまでは自由勝手にするんだ」という妙な信念をもっていました。

また、長崎から県外に旅立つ前に親戚が集まって話をしていた際にある人が、「○○くん(私のこと)は中学出たら働かせんば!(働かせないと!)」と母に言い放っている言葉を聞いてしまったのです。この時から、強く、ゆがんだ信念を持ったのだと思います。

でもやっぱり、15歳の子どもです。

本心は、「自分も高校生になりたい、みんなと同じような生活がしたい。」と思っていました。

でも、自分が高校に行くと学費もかかるし、家庭の負担になる。逆に、自分が働けば母も妹も生活が楽になる。とおもっていたので、口に出すことはありませんでした。

 

そんなこんなで、中3の受験校を決める時期に、おもむろに母が「先生があなたにぴったりの学校を紹介してくれたよ」ととてもうれしそうに話しました。母の嬉しそうな顔を見たのは本当に久しぶりで、その時、むげに否定することができませんでした。

私が「金は?」と聞くと「福祉事務所で母子家庭が借りられる無利子の制度でお金はもう借りた」と母。

「ふーん」と言い、その後、なんとなく願書を書き、なんとなく受験することになりました。

この時期、母が仲良くしていた同級生のお母さんが「九州の有名大学院生の家庭教師を呼びたいんだけど、一人では来てくれないので、一緒にどう?」と誘ってくれたらしく、「貯金があるから頑張って!!」と言われ、しぶしぶ同級生の家に行くことになりました。初対面の大学院生は私を見て開口一番「君の格好すごいね! まんま暴走族やん。それで高校受験するの?」と明らかに小ばかにした対応でした。母がせっかくお金を出してくれた家庭教師だったので、我慢して勉強をしました。

何度か、行くうちに妙なことに気づきました。私が質問しても「もう少し考えて」と言って、同級生にかかりっきりなのです。

私がもう少し考えた後も教えてくれることはありませんでした。そして悔しくもどかしい思いをしていた矢先、

勉強中に、その大学院生が「○○高校受けるんだって。そしたらこんな勉強せんでもいいんやない、お父さんお金出すのもったいないよ」と言ったのです。「お父さんはおらん」と言うと、「そしたら、なおさら、お金もったいない。最初、○○高校志望って聞いたのでこのレベルの勉強しているけど、あなたの受験校はここまでの勉強必要ないよ。」と言い放ちました。

15歳の私は、母がどんな気持ちでお金を出してくれているか。どんな気持ちで高校に行かせるためにお金を工面しているか、

怒りが胸の中から湧き上がってきて、その大学院生に「ふざけんな!!」と怒鳴りつけ、同級生の家を出ました。

寒い家までの帰り道、「これからは馬鹿にするやつはぶっとばそう。何が大学院生だ。馬鹿タレが!!」と言いながら帰り、

母に謝りました。その後、その大学院生から母に謝罪の手紙が届きましたが「今度会ったらぶっとばす」ということしか、

頭にありませんでした。

「15年しか生きていないのに、何でこんな情けない思いや悔しく切ない思いをしないといけないのか、死んだ方がましだ。」と思うようになりました。

この時考えたのは、「人間は平等なんかじゃない。人は信用できない。自分は幸せにはなれないから期待しない。」です。

少しずつ少しづつ心の中が腐っていくことを自覚している15歳の私でした。