【山口】

山口県下関市彦島迫町の
彦島八幡宮
ステキな【御朱印帳】ラブラブ
 
【彦島八幡宮  御朱印帳】
(小さいサイズ)
 
             楼門と
 840余年伝来の無形文化財
       「サイ上り神事」が
   モチーフになっていますラブラブ
 
【彦島八幡宮 御朱印】
以前いただいた
【彦島八幡宮 御朱印】
  
 
 
【楼門】
 
【御祭神】
  仲哀天皇
  応神天皇
  神功皇后
  仁徳天皇
 

   1159年

彦島を開拓して治めていた

 

  伊予水軍の祖

  越智高縄城主 

 河野通清の末裔で

 

 本島開拓の祖である

河野通次が自ら祭主となり

 彦島八幡宮を建立。

 
 一名を灘八幡と云われ
 
  沖合を通過する船は
必ず「半帆」の札をとった
  と云われる事から
 
造船、漁業関係者の崇敬が厚く
 
     安産の神として
 
      別名 子安八幡
 
   と崇められた神社。
 
 境内社
【大歳神社】  
 
古代文字彫刻の磐座
【ペトログラフ】
ペトロとはギリシャ語で
 グラフは文様文字
   意味していて
 
 古代人が岩石に刻んだ
    原初文字 
  と言われています。 
 
    この岩は
  境内にあった岩が
 発見されたのではなく
 
   ある家の庭で
ペトログラフの岩が見つかり
    境内に
昭和57年5月に安置したもの。

   道路工事の折
大きな岩10個が出土したので
 
  庭石用に貰い受け
   自宅に運んだ所

   原因不明の
不幸な出来事が相次ぎ
 
 「もしやあの岩に
  何かあるのでは…」
 
   と調べてみると
 
 ペトログラフが検出
   解読された岩。
 
 昭和57年4月に境内に
   安置された
 
  進水式のたびに
泳いで来て邪魔をしていた
 
 下関造船所のドックと
  巌流島の海底を
 いつも移動していた
 
 「泳ぐ岩」の傍らに
   安置され
 
 下関造船所前から
   出土の岩が
集合する形になったそうです。
  
【彦島神社めぐり】
  彦島という地名は
 日本書紀の仲哀記に
  「引島」とあり
 
島は一時豊前領でしたが
 
    1620年
  長府藩主・毛利秀元
     と
小倉城主・小笠原忠政の協議で
 
 長府領であった「門司」
      と
 小倉領であった「引島」
   を交換した
   ともいわれ
 
 その後、毛利藩主が
 「引」は 武事に忌む
    として
 
 「彦島」に改めた
     と
  云われています。
 
【彦島七社巡り御朱印】
 

 

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