さくらゆきファンクラブ歴史講座 第8回 『関ヶ原』その1 | さくらゆきファンクラブのブログ

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今回の講座は2nd Single『関ヶ原』収録、小栗さくらさん作詞の「関ヶ原」です。

作詞・作曲:小栗さくら  編曲:あきつ
≪歌詞一部掲載≫
掲げよ掲げ己が旗 信念貫いてゆく
生きるため守るため 人は戦い続ける
誰が裏切り示そうとも 忠義の炎は消えぬ
例え報われることなき結果が待ち受けていようと・・・
「さくらゆき公式HP」より,歌詞一部掲載」

このブログの全体テーマはさくらさんの「関ヶ原」ですがポイントとして「大谷吉継公陣地跡」を取り上げたので同 Single収録の遠野ゆきさん作詞「夢陽炎」の曲もテーマになっています。


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関ヶ原の戦いは野戦・平地(緩斜面地)での戦闘が主な戦闘でしたが大谷軍の戦いは藤川台という丘に陣を敷き渡河してくる敵を迎撃しています。

武田対徳川・織田連合軍の「長篠の戦い」と同じ方程式で戦われました。

開戦当初、午前中の戦いでは現在、不破関資料館と中山道が藤古川を越えるラインを突破しようとする京極軍、藤堂軍を丘上の藤下の集落で迎撃します。

そして午前中の戦闘を耐いねいた大谷軍は小早川秀秋の裏切りを予想して温存していた600名の精鋭を京極高知、藤堂高虎の攻撃を防いでいた戸田勝成(重政)平塚為広に委ねて小早川軍の正面に向わせます。

図の①付近で戦われました。

松尾山に陣取っていた小早川軍は山を西方に下り現在、東海道本線と中山道が通過する付近に集結して北進、黒地川を越えようとしますが山中の集落付近に配置転換した戸田、平塚軍の猛攻に戦線を突破できません。

図②付近で戦われました。

午前中の戦いで疲労困憊している戸田、平塚軍でしたが600名の精鋭を加えた武将と足軽は一体となり小早川軍に鉄砲、弓矢、長柄槍で防戦します。

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その激戦ぶりは東軍から小早川の「監視役」として派遣されていた奥平貞治(さだはる)が重傷を負い後に死亡した事からも伺えます。
この奥平貞治は長篠合戦において長篠城に籠城した奥平信昌の叔父で共に籠城戦を戦い抜いた歴戦の勇士です。

小早川軍の寝返りを見た藤堂、京極軍は午前中の戦いで消耗した自軍を建て直し大谷軍に襲い掛かります。

その報告を聞いた大谷吉継は藤川台の大谷吉治(よしはる・良勝の説もある)、木下頼継の隊と共に藤古川の戦線に出て迎え撃ちます。

ふたたび①付近で戦われました。

この用兵の巧みさが豊臣秀吉をして「百万の軍の軍配をあずけてみたい」
と言わしめた由来ではと思います。

こうして大谷軍は寡勢ながら左右より押し寄せる敵軍を押し戻します。

続きます。