皆様、おはようございます
大聖歓喜天のお話ばかりが続きますがお許しくださいね。
我が師(←浴油供の)の祈祷中のご様子を間近で拝見していると
それはもう、めちゃカッコええ
しびれるぜー なのです。
先日もMyHeroesとして記事を書きましたが
もう10年くらい憧れて尊敬申し上げているので
密教のお話を伺えるだけで猛烈に感激するのです。
そうです。
在家の頃からです
特に護摩壇の礼盤(らいばん:椅子のような座席のような小さな畳のようなとこ)が
先生の形に窪んでいるのを目にするたび
「あー、もうなんてカッコいんだろう……尊敬しちゃうぜ!!」
と、密かに心中で叫んでおります。
密教のお寺ならどこでも似たような設えです。
でも、先生の礼盤のようになっているところは見たことがありません。
窪んでいないということは
毎日毎日毎日毎日拝んでいないという事です。
同じところに一定時間毎日座っていれば、自分の身体の形に窪みますね。
普通の畳だってそうです。
同じ場所に座り、仕事をしていれば自分サイズに窪みます。
ちなみに……先生のお衣もカッコええんですよ。
護摩の際にちっこい火の粉が飛んでまいりますので
ポチポチとちっこい穴が開きます。
注:ちなみに礼盤もお衣もお金がなくて買えないのではありませんよ!
そういったお衣をまとい、ものすごい熱量で祈祷をされるお姿に
毎回毎回感銘を受け、自分の祈祷はどうだろう?
祈りはどうだろうか?と自問自答するのです。
もう、とにかくすごい。
カッコええ。
ああなりたい。
それしかない。
教えを頂くたびに、しばらくの間陶然としながら
祈りの工夫とでも申し上げましょうか……
あれこれ自分なりに考えてみるのです。
毎日ちゃんとやっている方、真剣に何かに取り組まれている方は
言葉に熱があり力がありますね。
何かを読んで……なんていう受け売りでは
絶対に出すことのできない迫力があるのです。
それは真実だからです。
先生と出逢えた法縁に感謝。
この僥倖に感謝。