皆様、おはようございます
梵字って聞いたことがある!という方は多いかもしれません。
薬師如来様の梵字です。
ベイやバイと読みます。
読み方は宗派などで色々と変わります。
何が正しい、ということではありません。
サンスクリット語ですからね
遠くから伝来しているので訛ったりすることも普通にありますし、
変化は当たり前です。それで良いのですよ
文字も、書き方に決まりはありますが
上手下手……ということでもないのかな、と思います。
丁寧に真摯に浄書する。
これが一番大事です。
上手く書ければきっと気分が良いですけどね……
上手く書きたい!とかキレイじゃなきゃダメ!
などと固執することが仏教的にどうなのか?という……
ただ梵字は、仏様そのものと捉えて頂きたいです。
なので、接し方は大事です
つい最近、とあることがあり、久しぶりに浄書いたしました。
少々縦気味の踊るようなお姿になりました
明るい、おおらかな仏様……そんなイメージになりましたね。
私の浄書する梵字は、いつもどこかこんな感じです。
これは梵字だけを浄書する筆ペンで書きましたが、
平たい木片で書いたりすることもあります。
その場合は”書く”というより”描く”かもしれません。
仏様の世界のことを難しく捉えたりするのは
個人的にはもったいないなぁと思います。
バチが当たる!?とか、よく聞かれますが……ナンセンスです。
どの仏様も”善き方へ導こう”としているのですから、
痛い思いをさせておしまい
なんてコトは絶対になく
生きていく中で何かしら自分が痛い目に遭っても
それは仏様が起こしたことではなく、己の悪業が表面化しただけ。
もっと身近に楽しく仏様と向き合って頂きたいなぁと思います
梵字はその入り口であって良いと思います。
もちろん、僧侶の世界に入れば<梵字>に関しては
深い深い世界に分け入って学ぶことがたくさんあり
様々なことを知っていくわけですが……
在家の方はそんなことに気を遣わないで
ただただ楽しんでいただくのが一番です。
楽しい、美しい、美味しい、などに仏様を感じるのが
一番分かりやすいからです。
それで良いのです。
ありがたい教えを難しくしてはいけません。
去年、梵字の大家(僧侶)と呼ばれる人に
「教えて頂けないか?」と
”ちゃんとした人”を介して尋ねたことがありました。
そしたら、断られました。
「梵字は深い教えがあって……云々……そう簡単に教えるわけには……云々」
は?
アホちゃう?
大家と呼ばれるのなら、その深い教えを
後進の僧侶に惜しみなく教えるべきじゃろうが!
注:もちろん無料で!などとケチくさいことは申しておりませんデスよ
簡単に教えるわけにはいかない??
は~????
お前の専売特許か、梵字は!
ケチくさっ!
それがその時の私の正直な気持ちです。
もちろん、腹の中で思ったことです
まぁ、色々なお考えがあるのでしょうが……
仏教はお話ししてナンボ。
仏法はお伝えしてナンボ。
ありがたい教えは自分のものではありませんのでね。
仏様から賜った一般衆生のものです。
僧侶たるもの、知りたいと乞われれば惜しみなく与えるべきだ!と思っています。
なぜなら、私は与えて頂く僥倖にあずかれたから。
その幸福を独り占めすることなど仏様が望むわけがないからです。
何のために坊主やっとるんじゃ!ボケー!
坊主を職業やと思っとるんちゃうか?ボケー!
と思います。
坊さんになって生きていくのは使命です。
お仕事ではありません。
朝から少々下品になりましたが(いつものこと?)
本日も我がご本尊の薬師様の瑠璃を頭からザッバーとかけて頂きたいと思います
皆様、今日も一日ご安全に。
そして、善き一日でありますよう。