皆様、おはようございますニコニコ


浴油祈祷に関してご質問が

多くなってきたので

思うところを書いてみます。


大聖歓喜天の浴油法に関しては

様々な怖いお話やトンデモ話が出回っておりますね。

 

私がセッセと待乳山聖天に通っていた時も

今と何ら変わらず、そういうお話がありました。

 

正しく認識してからでないと

なかなかに難しい仏教の神様であることは

確かです。

 

私がお伝授頂いたのはお二人。

あえてコチラでは書きませんが

とても素晴らしい御法力の持ち主のお二人です。

 

大変深いところまで教えて頂き

私はこれから寿命が尽きるまで

ずっと聖天行者として生きていくことになります。

 

そのために、軍荼利様を彫ってお壇にお迎えしようと決めたのでした。

 

「どんなことでも叶えて下さる」

聖天さん(大聖歓喜天)はそのように伝わっていますね。

 

その通りですが、ここでもまた見逃してはいけない

大きなポイントがあります。

 

そう。

いつもお話ししている『人徳』です。

 

セッセと祈っていても、本人に邪な気持ちがあったり

徳を積んでいないと、とてもよく似て異なるモノに

叶えてもらい、それを聖天さんだと思ってさらにドンドン……なんて

恐ろしいことになります。

 

私はこのパターンを実際に何人も拝見しています。

 

なにが違うのか、どこが見分けポイントなのか。

 

それは、どんな願いでも本当にすぐにポンポン叶って

その人にとって<もう聖天さん(と思っているので仕方ないのですが)命!>

みたいになっていくのです。

 

もちろん、行者にもそういうちょっとおかしな人も結構います。

 

正しい見識で、正しいお祀りの仕方で、正しく生きていて

正しく修法して下さる行者とご縁ができれば

おそらくおかしな方向へ行くことはないと思います。

 

そういったことも含め、難しい神様です。

 

ただ、縁ある人は深い深い縁があります。

逃れられません。

 

私は縁があるのかな?と思う方は

これまでの人生を振り返ってみて下さい。

 

先に、十一面観音様とご縁があったでしょうか?

 

そこがかなり大きなポイントです。

 

ただただ寺社仏閣巡りをしているときは

あまり考えもしなかったポイントだと思います。

 

でも、仏様のなさり様は本当に深遠で

え?そんな昔から?????????という

驚くほどものすごいストーリーを

プレゼントしてくださっていることがあります。

 

こんな話をまたできるといいなぁと思っております。

 

話を戻して……

私はこれからずっと

浴油をガッチリ行っていくわけですが

ご祈祷のご依頼を受ける場合は、シッカリお話を聞いてからでないと

絶対にお受けいたしません。

お話を伺ってもお断りすることの方が多いだろうと思います。

 

もっとカジュアルに受けてくれるところはたくさんありますので
そちらをおススメすることもあるかと思います。

 

「何それ、感じ悪ぅ~ムキー」 と思われるかもしれませんが

お話を伺ってから説明申し上げることとなりますので

おそらくご納得いただけることと思っております。

そんなわけで、たくさんご質問を頂いておりましたが
この場を借りてお答えさせて頂きました。