皆様、おはようございます
霊符、霊符、とたまにブログに書いておりますが
なんでシツコく書いてしまうかというと
効験が素晴らしいからなのです。
「えええええええええええ!すご!」
と体感した時か
願主様から
「すごいです……こんな感じで叶ってました!」
という形でご報告を頂戴した時に
「むむむ、スゴいなぁ、霊符……」
となって、ひとり静かに盛り上がり……
最初は静かに盛り上がってるわけですが
なぜか収まらず、アゲアゲになったとき、その気持ちをブログに書いてしまうのでした
何が凄いってマイルドに収まって、気づけばみんながHappyとなるところなんですよ。
欲願まみれになっているとき
人は気がフれていると私は思います。
私が実際そうでしたので。
自分だけが良ければ、あとは誰もいなくていい!くらいのアホ加減で
欲にまみれ、願いを叶えたくてギラギラしておりました。
でも、そういう時にはなぜか叶わないんですよね
仏様はご覧になっておられるのです。
でも、そのギラギラ感がなければ
「なんちゅーアホやったんや~」
と、気づくこともありません。
なので、アホ過程は必要です。
そう。
どなたにでも、です。
よく
「仏様にこんなダークなことを言ったらバチがあたるんじゃ……」
と、ご相談を受けますが、仏様にこそ己の胸の内を赤裸々にお伝えすべきです。
人間の醜い心根などはお見通しで、ドロドロをものともせずに受け止められるから
仏様をやっているわけです
「〇〇を呪い殺して、焼き討ちにしたい」
そう言ってもいいと思います。
その心の内を明かされた仏様は、その歪んだ心根を正しい方に向けるため、
「ふーむ……そうか。じゃ、お不動さんを呼んでくるか……」
と、誰を招集するか、誰に相談するかをお決めになられます。
誰、というのは仏様です。
ご誓願に合う御尊格を、お互いに相談し合ってお決めになられているように感じます。
例えば、こんなことを言ったらバチが当たるかも? 酷いお仕置きをされるのでは?
仏様にめっちゃ怒られそう……などと思うこと自体、どうですか?
それは正しいことでしょうか?
正しくないかもなぁ……と知っているから、言い出すことが憚れるわけです。
人は大体まともに常識的に己を抑止しながら生きているのです。
それでも……
それでも……
「アイツよりも金持ちに!」
「地球をすべて頂戴!」
などと平気で言える人は……
ね? お分かりいただけますでしょう?
気がフれています
かつてのワタクシです。
仏様は一度手を合わせた人を決してお見捨てになりません。
私たち人間が、「あの寺って全然ご利益ないよね!」などと
近視眼的にしかものを捉えられない無明であるから
仏様の素晴らしいお働きに気づけずにいるわけです。
で。
話がそれたように見えますが、霊符にもどります。
霊符はまず霊符行者に出逢わなければ、浄書していただけません。
なので、出逢ったらご縁(仏縁)があるわけです。
行者との仏縁ではなく、霊符の神様(護法善神)とご縁があるという意味です。
そして、霊符の神様からのお許しが出なければ
依頼することもできないのです。
なんとなく機会を逸してしまう、とか
お願いできるだけの財力が”その時にない”、とか
理由は様々ですが、とにかくすんなりいきません。
あらゆる目に視えない仏天の采配を受けて
徳のある人は霊符を浄書してもらえる僥倖に出逢えるのです。
そして、三方よし!どころではなく
八方……十六方よし!的なウルトラGのような難易度の幸せを
実現させてもらえるのです。
毎回、毎回、その効験の顕れ方と、収まり方に戦慄(←いい意味で)いたします。
私の中では、最強だよねぇ……と毎回毎回思うのです。
こんなことを書いているのは、先日スゴイ効験を拝見したからです。
興奮して長々と書いてしまいました!